「宮古島のパーントゥ」ユネスコ無形文化遺産登録の弊害

宮古島のパーントゥのユネスコ無形文化遺産登録が決まりました。

世界遺産などに登録された場合「地元は大盛り上がり」などの記事が新聞紙面をにぎわすことが多いですが、宮古島の場合そうはいきません。

かつて宮古島の小さな集落でひっそりと行われていたパーントゥ。今では毎年多くの観光客で溢れています。

地元の人たちは、パーントゥを取り巻く環境の変化に戸惑っています。

ユネスコ無形文化遺産登録で注目度が上がれば、宮古島のパーントゥを取り巻く環境はさらに厳しくなります。

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2つのパーントゥ

「宮古島のパーントゥ」は秋田県の「男鹿のナマハゲ」などともに「来訪神 仮面・仮装の神々」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

「宮古島のパーントゥ」は、文化庁がユネスコに申請する際に使った表現。登録決定のニュースでは「宮古島のパーントゥ」という表現が使われましたが、地元で「宮古島のパーントゥ」という言い方をする人はいません。

「パーントゥ」は上野野原と平良島尻の2つの行事で登場します。

上野野原のパーントゥが登場するのは「サティパロウ」という行事。仮面をつけた子供がパーントゥに扮し、つる草などを身にまとった女性と共に集落を歩いて厄を払います。

島尻のパーントゥと同様に毎年行われていますが、島尻のパーントゥほど知名度はありません。集落でひっそりと行われている行事で、見物客はほとんどいません。

島尻のパーントゥの正式名は「島尻のパーントゥプナハ」

仮面で顔を覆い、つる草を全身に巻きつけ、泥をまとった3体のパーントゥが、集落の人や家に泥を塗り、厄を払います。

ユネスコ無形文化遺産には、上野野原のパーントゥと平良島尻のパーントゥの2つが「宮古島のパーントゥ」として登録されました。

30年前のパーントゥ

30年前の島尻のパーントゥは、現在の野原のパーントゥのように集落の中だけでひっそりと行われていました。

「島尻」は宮古島の北側に位置する小さな集落。世帯数は約200。人口は約350人。

インターネットがなかった30年前。パーントゥの開催日を知っているのは集落の人たちだけ。島尻以外に住む宮古島の人たちにとって「パーントゥ」は遠い存在でした。

島尻出身の40代の女性は、パーントゥの恐ろしさを鮮明に覚えていると話してくれました。今と一番違うのは「集落の明るさ」だといいます。

30年前は、日が暮れると集落は真っ暗。パーントゥが近づいてきても、暗くて見えません。どこから来るかわからないパーントゥにおびえながら過ごした時間は、トラウマになるほど恐ろしかったといいます。

現在のパーントゥ

現在のパーントゥは、30年前とは全く違います。

パーントゥの日、島尻集落には観光客やマスコミが大挙して訪れます。

今では、日が暮れてもパーントゥがどこにいるのか一目でわかります。3体のパーントゥの周りには常に黒山の人だかり。大げさに言えばアイドルの握手会のような状態。パーントゥが走って追いかけなくても、パーントゥの周りには人が集まってきます。

私が宮古島に移住した5年前、パーントゥの見物客は今の半分ほどでした。

5年前は、パーントゥが走って人を追いかける姿をたくさん見かけました。子供たちがパーントゥから走って逃げる姿もたくさん見かけました。今は、パーントゥが走ることはほとんどありません。走る隙間がないほど多くの人がパーントゥを取り囲んでいます。

集落活性化の起爆剤?

集落の中だけでひっそりと行われていた島尻のパーントゥプナハが、観光客や移住者で溢れるようになったのには、きっかけがありました。

人口減少が続き、子供が減り、過疎化が止まらなかった島尻集落。島尻の人たちは集落活性化の起爆剤としてパーントゥを活用しようとしました。

パーントゥをきっかけに集落外から人を呼び込もうと考え、パーントゥの存在を積極的にPR。集落の入り口に「パーントゥの里」と書いた看板を設置し、公民館の名前を「パーントゥの里会館」にし、パーントゥの関連グッズを作って販売しました。現在でも島尻の購買店ではパーントゥのTシャツやキーホルダーが販売されています。

島尻の人たちの考えは「パーントゥの里」として集落をPRしたいというものでした。「パーントゥの当日にたくさんの人に来てもらいたい」という考えは本意ではありませんでした。

島尻の人たちはパーントゥの開催日を集落外には漏らさないようにしていましたが、インターネットが普及したことで、開催日が簡単に拡散されるようになってしまいました。

子供たちも携帯電話を使う時代。地元の高校生が開催日をツイッターにのせれば、全世界に拡散されます。2018年のパーントゥ開催前には、開催日の情報がインターネット上に溢れていました。

歓迎されない無形文化遺産登録

ユネスコ無形文化遺産登録は本来なら歓迎されるべきものですが、残念ながら地元に歓迎ムードは全くありません。

宮古島の人たちは、もともと地位や名誉にとらわれない気質があります。あの人は一流企業にいたとか、一流大学出身だという会話はしません。

会社内には社長や部長、課長といった階級がありますが、部長も課長も平社員も関係なく意見を言い合うような雰囲気の企業が宮古島には多いです。

肩書きを気にすることのない宮古島の人たち。「ユネスコ無形文化遺産登録」と言われても、「それがどうした?」というのが島尻の人たちの率直な反応。

「今でさえこんなに人が増えて大変なのに、無形文化遺産登録でさらに人が増えてしまったらどうなるんだ」というのが本音です。

島尻以外に住む宮古島の人たちも「ユネスコ無形文化遺産登録」を喜ぶことはありません。

宮古島には小さな集落がいくつもあります。宮古島の人たちは縄張り意識が強く、自分たちの集落が他から介入されることを嫌い、他の集落には介入しようとしません。

パーントゥの無形文化遺産登録は「野原」と「島尻」の出来事であり、それ以外の地域に住んでいる人たちは「自分には関係ないこと」として捉えています。

宮古島の市街地に住む人に「パーントゥがユネスコ無形文化遺産に登録されました。どう思いますか?」と聞くことは、岩手県民に「秋田のナマハゲがユネスコ無形文化遺産に党と録されました。どう思いますか?」と聞くのと同じようなものです。

悲しい現実

島尻の3体のパーントゥは、本来は集落の厄を払うためのものです。観光客が溢れ、パーントゥがイベント化してしまうことで、パーントゥの意味合い自体が変わってしまうことが懸念されます。

島尻の人たちは、困惑しています。

人が増えすぎたことで、交通整理が大変。パーントゥ当日はパトカーが出動し主要道路の交通規制はしてくれますが、集落に入る小さな道の交通整理をするのは地元の自治会の人たち。交通整理に追われて何年もパーントゥの姿を見ていないという人もいます。

パーントゥの役目は集落の厄を払うこと。集落に新しくできた家や新車には必ず泥を塗って厄払いが行われていきました。最近では、人が多すぎて新築の家までたどり着けないこともあります。

観光客からのクレームも多くなっています。数年前にはパーントゥに泥を塗られた観光客がクリーニング代を請求した事案がニュースになりました。集落の人たちは、トラブルや苦情を恐れながらパーントゥの日を過ごしています。

ユネスコ無形文化遺産登録で、島尻のパーントゥの知名度は間違いなく高まりました。見た目のインパクト、強烈な匂い、トラウマになりそうな迫力。「イベント」として捉えてしまえば、確かにパーントゥには他にはない魅力があります。

「インスタ映え」が流行するSNS全盛時代。パーントゥに容赦なくカメラを向け、泥を塗られた自分とパーントゥの2ショット写真を撮り、「厄払いしました♪」とコメントをつけてSNSに掲載する。

それって、誰のためですか?

島尻の先人たちが生み出したパーントゥ。ユネスコ無形文化遺産登録が、地元の人たちに歓迎されないとしたら、こんなに悲しいことはありません。

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