森末慎二さんが宮古島別荘暮らしで困っていること

宮古島に移住して5年のshimagurashiです。

オリンピック体操金メダリストの森末慎二さんは2011年に宮古島に別荘を購入し、仕事がオフの時は宮古島で暮らしています。

ゴルフをしたり天丼店を経営したりと島暮らしを満喫している森末さんですが、宮古島であることに困っていると聞きます。

森末さんの悩みはスローライフに憧れて宮古島に移住した人たちの共通の悩みです。

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静かに暮らせない

森末慎二さんが困っていることはズバリ、宮古島では静かに暮らせないということ。

1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した後、すぐに芸能界入りした森末さん。芸能人として30年以上のキャリアがあります。

宮古島に別荘を持ったのは、人の目のない離島で、都会にはない静かな暮らしがしたかったから。

ゆっくりと島時間が流れる宮古島で、森末さんは静かな暮らしを手に入れるはずでした。

ところが、森末さんが別荘を購入した2011年以降、宮古島は激変しました。

宮古島激変

森末さんが宮古島に別荘を購入した2011年は東日本大震災の年。全国的な旅行控えが広がり、沖縄・宮古島も観光客が減りました。

宮古島の年間観光客数は40万人台で推移していましたが、2011年には33万人にまで落ち込みました。

島の観光地や歓楽街は閑散とし、島にはそれまで以上に静かな時間が流れていました。

宮古島激変のきっかけになったのは2015年の伊良部大橋開通。宮古島と伊良部島を結ぶ全長3540メートルの絶景の橋が全国的に注目され、宮古島の観光客が急増しました。

【宮古島の観光客数】
2014年度 40万人
2015年度 43万人
2016年度 51万人
2017年度 70万人
2018年度 99万人
2019年度 114万人
(宮古島市ホームページより)

宮古島の地元の人たちもここまで観光客が増えるとは予測していませんでした。

観光客急増をもたらしたのは本土からの直行便の増加。2015年まで宮古島への直行便は羽田空港からの一往復便だけでしたが、その後急増しました。

【宮古島への直行便】
羽田―宮古 JTA 1989年開設
羽田―宮古 ANA 2016年開設
関西―宮古 ANA 2016年開設
中部―宮古 ANA 2017年開設
成田―宮古 ジェットスター 2019年開設
関西―宮古 ジェットスター 2019年開設

海外からの観光客も急増しています。宮古島には2015年以降、中国・台湾からのクルーズ船が急増しています。

【クルーズ船寄港数】
2015年 13回
2016年 86回
2017年 130回
2018年 143回
(沖縄総合事務局資料より)

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建設ラッシュ

観光客急増を商機と捉え、宮古島では建設ラッシュが加速しています。2017年頃から新しいリゾートホテルが次々に開業。県外企業による海岸線沿いのリゾート用地買収が始まり土地の価格が高騰。「宮古島バブル」と表現されるようになりました。

これまで手つかずだった場所も次々に開発されています。特に開発が盛んなのは伊良部島の一周道路沿い、伊良部大橋から渡口の浜までの場所。

2015年まではサトウキビ畑や原野が広がるだけの場所でしたが、同時多発的に建物が乱立。現在ではリゾートホテルや別荘、カフェが並ぶ一大リゾートエリアとなっています。

宮古島市役所がある市街地エリアの開発も目立ちます。海の近くには次々に新しいホテルやアパートが建設され、風景が一変しました。

30年前から開発されてきた島の南海岸「シギラリゾート」でもここ数年開発が加速しています。インギャーコーラルビレッジやホテルシーブリーズカジュアル、ホテルシギラミラージュなど新しいホテルが次々にオープン。利益を荒稼ぎしています。

シギラリゾートのリゾート開発は今後も続きます。宮古島バブル真っただ中の2018年には、2024年までにホテルの客室6000室を整備するというとんでもない計画を発表しました。

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移住者の暮らし

開発ラッシュと観光客の急増で、島での暮らしは一変しました。森末慎二さんもそのあおりを受けた一人です。

島内は建設現場で溢れています。島の一周道路には大量の土砂を積んだ大型トラックが轟音を響かせて走ります。大型トラックやクレーンは市街地エリアの生活圏でも目立ちます。

島には大型観光バスやレンタカーが急増。渋滞がなく、排気ガスが少ないのが島の魅力でしたが、島の交通量は確実に増えました。島ではレンタカー絡みの交通事故が増えています。

宮古島には島外から多くの建設作業員が入っています。観光客と建設作業員の急増で、島の居酒屋は予約なしでは入れなくなりました。島の人たちがふらっと入っていた食堂にも行列ができるようになりました。

クルーズ船が入る日は、島が中国人で溢れます。一度にクルーズ船から下りてくる中国人は2000人~4000人。多い時には1日2回クルーズ船が来ます。人口5万5千人の小さな島はパンク寸前。観光バスもタクシーも足りなくなります。

中国人は観光バスやタクシーで島の観光スポットを巡ります。ビーチには中国人が溢れ、コンビニには中国人の行列ができます。市街地エリアにある島民憩いのパイナガマビーチもクルーズ船が来る日には中国人に占拠されます。中国人が去ったビーチにはゴミが散乱しています。

日本人観光客の質も変わってきました。以前は航空運賃が高く、那覇からの乗り継ぎで来る観光客が大半だったので「離島におじゃましている」という感覚の観光客が大半でした。

現在では直行便やLCCで気軽に、安く旅行できるので、観光客が都会暮らしの感覚のまま宮古島に来てしまいます。居酒屋で少し料理が出るのが遅いだけで怒ったり、予約を無断キャンセルしたり。数年前の宮古島ではありえなかったことが起きています。

島民が一番困っているのは家賃の高騰。島外からの建設作業員急増で宮古島では賃貸空き物件が極端に不足。それに便乗し、大家が不動産屋と組んで家賃を値上げしています。家賃4万円が翌月から8万円になったという話も聞きます。

私は宮古島で一軒家での暮らしに憧れていましたが、バブルで中古物件の価格が高騰し断念しました。こちらの記事に購入をあきらめるまでの経緯をまとめました。

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森末さんは勝ち組

静かな暮らしを求めて宮古島に別荘を購入した森末慎二さんも宮古島バブルに困っています。観光客が増えたことで興味本位で別荘を見に来る人も出始めたようです。

それでも私のようなお金の余裕も時間の余裕もない移住者から見れば、森末さんの宮古島暮らしはとてもうらやましいです。

森末さんの別荘があるのは島の北側。サトウキビ畑の中にポツンと一軒家を構えて住んでいます。この場所では観光開発はほとんど進んでいません。バブルでも無風。夕方にはサトウキビ畑の向こうの海に沈む夕日がきれいに見えます。周りにホテルや民家がなく、外灯もないので夜は別荘から満点の星空が見えます。

ビーチなどの観光スポットには人が増え、居酒屋の予約も取りにくくなっていますが、別荘にいる限りは森末さんの静かな暮らしは保たれています。バブルで騒がしくなった市街地のアパート暮らしの私にはうらやましい限りです。

森末慎二さんは宮古島移住者の勝ち組。宮古島ではバブルで土地の価格や建設費が高騰しています。バブルの今別荘を建てるのは大変ですが、森末さんが別荘を建てたのは東日本大震災で日本全体が自粛ムードだった2011年。森末さんが今別荘を売却すれば購入時より高く売れるかもしれません。

宮古島の経済界では2020年頃をピークに宮古島バブルは崩壊へ向かうとの噂があります。宮古島バブル崩壊のシナリオはこちらの記事からどうぞ。

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まとめ

2011年に宮古島に別荘を購入した森末慎二さんは、宮古島バブルによって島が騒がしくなったことに困っています。

宮古島バブルによる島の激変は、宮古島移住者共通の悩み。宮古島の変化に嫌気がさして島を出た人、家賃高騰に耐えられずに本土に帰って行った人もいます。

私もバブルが早く終わってほしいと考えている1人。スローライフに憧れて移住した宮古島で、静かな暮らしを取り戻せるよう願っています。

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