移住10年の今の私のリアルを書くブログの続編です。
宮古島や沖縄への移住を考えている皆様の判断材料になればうれしく思います。
身バレしない範囲で赤裸々に書いてみます。
移住者の悩み
20代の頃、都会での暮らしがうまくいかず、思い切って宮古島に移住した私ですが、移住すれば人生が全て好転するほど甘くはありませんでした。
移住者には移住者の悩みがある。
あたりまえのことですが、移住するまではその視点がなく、宮古島に移住さえすれば人生は好転すると考えていました。
移住するかどうかを悩んでいた頃の私のゴールは「移住する覚悟を決めて引っ越す」か「移住はあきらめて留まる」のどちらかの決断をすること。
でも、移住10年の今思うと、その決断はゴールではなくスタート。
移住するかどうかの決断には大きな意味がありますが、島に引っ越してからが、移住成功か失敗かの分岐点のスタート。
私が宮古島に移住したころは、移住者が情報を発信するツールは限られていて、情報がない中で思い切って決断して島に来ました。
島に来てから知らなかったことにたくさん気が付き、人生を甘くみていたことを痛感しました。
最初の3年ぐらいは特に精神的にきつく、ストレスで体に異変が出たこともありました。
でも10年も経つと、それも一つの経験だったと受け入れることができるようになりました。
自分の人生の成功、失敗を決めるのは自分。人生の大きな決断をするときに、社会の一般常識とか、他人の目とか、友達にどう思われるかとか、ブロガーが書いてることを過度に気にする必要はありません。
私の人生は私の人生。
私は移住3年後にどん底に落ちましたが、10年後には「そんなこともあったな」程度に思えてきました。
移住生活がうまくいかない人はだいたいが3年以内に帰っていきますが、帰ること=失敗とは限りません。
同じ場所で、ひかれたレールの上で、安定した人生を送るのもすばらしい。
でも、自らレールを外れて、知らない世界に飛び込んで失敗した人の方が、豊かな人生かもしれません。
「死ぬときに何を語れるか」という視点でみれば「宮古島に覚悟なく飛び込んで失敗した話」の方がおもしろい。
私は才能も特技もないただの移住者ですが、それでもこのブログは多くのアクセスを集め、移住者の中でちょっとした話題になっています。
正解を決めるのは自分
宮古島は旅行者にはとても魅力的な島なので、旅行に来て住みたくなるのはとても自然なこと。
島に遊びに来た友人には必ず「いいところに住んでるね」と言われるし「私も住みたい」と言ってくる人もいます。
移住が頭によぎる人が10人いたとして、実際に移住するのは1人か2人ぐらい。
その1人か2人のうち、移住生活が長続きするのは一握りです。
うまくいかないリスクがある。うまくいかない可能性の方が大きいのは事実かもしれない。
でも、人生は冒険だ。
移住10年の今思うのは「移住生活は失敗だったかも」と思った時に、どう生きようとするのかが大事ということ。
島でもがき続けるのも正解。本土に戻るのも正解。
社会の常識や他人の目にとらわれず、自分自身の心の声を聞いて出した結論はすべて正解。
今は心の底からそう思えるようになりました。
お金と仕事
移住生活のストレスはそれなりにありますが、集約するとお金と仕事のこと。
お金と仕事の問題がクリアされれば、この島で生き続けることは幸せだと感じるようになりました。
島のお金事情
宮古島は離島なので物価が高く、全国的な物価高騰のあおりを受けて、物価は上がるばかり。
給料が少なく、物価が高い。正直かなりしんどいです。
ガソリン代は1リットル200円を超える時期もあります。
本土よりも30円ぐらいは高いです。
宮古島生活には必ず車が必要。
最初のうちは自転車で頑張っている移住者も、そのうち必ず車を買います。
宮古島の夏は暑く、太陽のパワーが強すぎて、自転車移動は超過酷。
夏は車内の温度が異常に上がります。
車のボディは鉄板のように熱いです。
大人の人数分車を持っている家が多く、うちも2台ありますが、ガソリン代、車検代など固定費が高く、税金、保険料もプラスされるのでかなりの出費です。バッテリーも壊れたりすぐ交換になったりします。
家賃も驚くほど高い。
観光客が急増して、ホテル建設が急増し、島外から建設作業員とかホテル従業員がたくさん島に来て、アパートの物件がなくなり、家賃が異常に値上がりました。
以前は一人暮らしで3~4万、ファミリーで5~6万が相場でしたが、今では1Kで10万するものもあります。
私たちはバブル前に移住したので、相場の範囲内でなんとか収まっていますが、いまの家を出ていくことになったら、島では暮らせません。
食料品も高い。
サンエー、かねひで、マックスバリュ、ドンキホーテと、食料品を買える店が限られていて、価格競争があまりなく、食材も惣菜も高い。
卵は1パック300円近いし、米は5キロ4000円では買えない。牛乳も安いもので280円。
都会では130円ぐらいで買えるコンビニのパンがなぜか180円ぐらいします。
物価が高い分給料も高ければなんとかなりますが、とにかく島は給料が低い。
島の求人情報で地元企業は初任給18万円がベース。
都会で初任給30万円の企業があるとかネット記事を見ると悲しい気持ちになります。
都会では物価高騰にあわせて給料が上がっているところもあるよですが、宮古島では賃上げの動きはありません。
初任給が低いのもつらいですが、島の企業は昇給幅が小さすぎるのが問題。
私は10年務めて昇給したのは1~2万円ぐらい。
全く昇給しない年もあるし、よくわからない理由で手当が減ったりもする。
残業代が正常に出ない、ボーナスがない会社も島には普通にあります。
島の仕事事情
このブログの前編で「どこに住むか」ではなく「何をするか」と書きました。
もっと具体的に書くと「どこに住むか」ではなく「どこで働くか」
都会で暮らしても、ハワイで暮らしても、宮古島で暮らしても、仕事をしている限り、1日の大半の時間を過ごすのは職場。職場環境は超重要。
宮古島にも理不尽な上司はいるし、やりたくない仕事を押し付けられることもあります。
都会の感覚で働いて「あの人は仕事ができる人だ」と島の人に勘違いされるとどんどん仕事が降ってきます。
島暮らしだからとのんびり働こうとすると「仕事ができない移住者」とレッテルを貼られ、職場で孤立するようになります。
どちらも地獄ですが、最初はだいたいどちらかのパターンになります。
宮古島移住を最初に考えた時の私のイメージは「海の美しさ」「人の温かさ」「のんびり島時間」でしたが、移住生活で私が毎日眺めている光景は「職場」であり「同僚の顔」です。
移住生活が長くなればなるほど、仕事や上司に頭が支配されるようになりました。
移住者の中には職場との相性があわずに仕事を転々としたり、同僚とけんかして島を出ていった人もいます。
仕事に不満を抱えたまま暮らし続けている人もいれば、不満に耐え切れずに帰る人もいます。
移住者にとって仕事の選択は超重要。
移住生活が長い人のほとんどは、自分にあった長く続く仕事を見つけ、職場に染まり、理不尽さに耐え、時には歯を食いしばり、酒を飲んでストレスを発散し・・・というような、都会にもありがちな労働者の生活を送っています。
仕事との折り合いをつけ、妥協して、私は島で10年生きています。
長くなったので続編へ。
「私たちの移住生活」カテゴリーで移住0年目から10年までの様々な出来事を書いているので、詳しく知りたい方は読んでみてください。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。