沖縄の離島宮古島に移住したshimagurashiです。
沖縄に来てからよく耳にするようになった「ナイチャー」という言葉。
「ナイチャー」は「県外の人」を意味する沖縄方言ですが、沖縄で生活するようになると「ナイチャー」という言葉の裏にある差別的な意味合いを感じずにはいられなくなります。
沖縄生活5年で感じた沖縄のナイチャー差別のリアルについてまとめました。
あれはナイチャー
沖縄の人は「ウチナーンチュ」沖縄以外の人は「ナイチャー」。
沖縄の人たちは縄張り意識が強く。地元出身者と県外出身者を明確に区別します。離島はさらに縄張り意識が強いです。
宮古島で暮らしていると「あれ宮古の人?」「あれはナイチャーだら」という会話がよく聞こえてきます。
ナイチャーを目の前に「あんたはナイチャーか?」と聞く人はいません。直接「ナイチャーか?」と聞かないのは「ナイチャー」という言葉に差別的な意味合いが含まれているから。
「ナイチャーか?」と聞かれる代わりに「どこの出身?」と聞かれます。
沖縄の人たちは島の出身者か、県外出身者かを瞬時に見分けることができます。顔のつくりを見れば沖縄出身かどうかは一目瞭然。
内地の人も沖縄での暮らしが長くなると沖縄の人のような肌の色になり、顔に沖縄の人のようなしわができて、沖縄の人のような風貌になりますが、観光客や移住して間もない人は「ナイチャー」とすぐにわかります。
「どこの出身?」という質問は、相手が内地の出身だと確認するためのものです。得体の知れない相手を「ナイチャー」だと確認することで沖縄の人は安心します。
自分たちとは別物だと確認する作業です。
日本人が外国人観光客に「Where are you from」とどこから来たかを聞くように、沖縄の人はナイチャーにどこの出身かを確認します。
日本人が外国人の出身地を確認して、自分たちとは別物だと無意識に安心するように、沖縄の人はナイチャーの出身地を確認して安心します。
ナイチャー差別
「あれはナイチャーだら」という言葉には「自分たちとは別物」という差別的な意味合いが含まれています。
この差別的な扱いを受け入れなければ、ナイチャーの沖縄での移住生活はうまくいきません。
5年前に沖縄の離島、宮古島に移住した私。
移住前に抱いていた沖縄のイメージは「気候が温暖で、人がやさしい」でした。
沖縄の人たちは観光客にはとてもやさしいです。でも、ナイチャーにはやさしくありません。
やさしい、やさしくないというよりも「関心がない」という表現が的確です。
沖縄に移住すれば、近所の人に野菜をもらったりして、のんびり生活できると思っていました。
沖縄の人はご近所さんに余った野菜を配ったりして助け合って生きていますが、ナイチャーは基本的にその輪の中には入れません。
移住して5年、ご近所さんが野菜をくれたことなど一度もありません。
沖縄の人にとって、ナイチャーは縄張りの外の人。縄張りの中の自分たちの暮らしを乱す可能性のある部外者です。積極的に関わってもいいことはありません。
沖縄移住者の半数以上は3年以内に移住に失敗して島から出て行きます。移住して間もないナイチャーは「どうせまた帰る」という目で見られます。
ナイチャーには部屋を貸さない大家もいます。繁華街エリアの店舗用の貸し物件の中にはナイチャーはお断りがたくさんあります。
この扱いをナイチャー差別と捉えてうんざりするか、当然のものとして受け入れてたくましく生きるかによって移住生活がうまくいくかが決まります。
ナイチャーの生き方
ナイチャーが沖縄で生きて行くのは簡単ではありません。
移住生活を成功させたいなら、一番の秘訣は沖縄の人のように暮らすことです。
内地とは大きく異なる沖縄の価値観を全て受け入れる覚悟で生活することです。
時間にルーズ。仕事が適当。お金を持ち逃げする。
内地では許されないことが沖縄では当たり前に起こります。沖縄の人たちはこれらをすべて受け入れる心の広さを持っています。
競争意識は希薄で、みんなで助け合って生きて行く。困っていたら自然に手を差し伸べる。自分を犠牲にすることをいとわない。
日本人の感覚のまま移住すると、移住生活は破たんします。価値観が違う、人種が違う海外に移住するぐらいの覚悟がなければ、ナイチャーは沖縄で暮らしていけません。
「郷に入れば郷に従う」が全てです。
言葉にすると簡単ですが、これを実践できるナイチャーはごく一部です。
特に沖縄で働き始めると、沖縄の人たちのルーズさに嫌気がさしはじめます。仕事が終わってないのに帰る人、仕事をナイチャーに丸投げする人、そもそも職場に来ない人。
ナイチャーの感覚では信じられないルーズさです。
沖縄で長く移住生活を送っているナイチャーの先輩たちは、沖縄の人たちのように全てを受け入れ、自分を犠牲にして生きています。
移住生活が長いナイチャーは見た目の雰囲気も沖縄の人のようになっていきます。「沖縄の人かと思った」と言われるようになったら移住者として一人前です。
移住は降伏
移住することは降伏することです。
これまでの全ての価値観を捨てることです。中途半端な覚悟で移住すると最初の1年は最高に楽しめますが、熱が冷めるのも早いです。
ナイチャー差別を全面的に受け入れる覚悟がなければ移住生活は厳しいです。
移住者は「部外者」「よそ者」。マイナスからのスタートです。
移住前にどこでどんな仕事をしてどう生きてきたかは全く関係ありません。沖縄に来た時点で全てリセットされます。
移住前の給料も職場での役職も全てリセットされます。
移住後も内地の価値観を貫こうとする移住者は嫌われます。沖縄では効率が悪くても倫理的におかしくても、沖縄の人たちのやり方が正しいです。
効率をよくしようとルールを変えようとするナイチャーは嫌われます。沖縄で相手にされなくなり孤独が深まっていきます。
移住者だけのコミュニティーで自分たちの価値観を貫いて生きて行くのも限界があります。移住者のコミュニティーは人の入れ替わりが激しいです。ナイチャー仲間が島から出て行くのを見送るたびに「自分はこのまま沖縄にいて大丈夫だろうか」と不安になります。
沖縄に降伏しなければ沖縄での幸福は手に入れられません。
沖縄で幸せに生きているナイチャーたちの幸福論は、沖縄の人たちの幸福論と同じ。生きていることのありがたさをかみしめながら、家族を思いやり、日々をつつましく生きています。
ナイチャー嫁
内地から沖縄に嫁に来る「ナイチャー嫁」。
結婚した時点で無条件に降伏を余儀なくされます。
沖縄は文化も風習も内地とは全く違います。
沖縄は家族、親戚の行事がとても多いです。旧正月を祝ったり、お墓で宴会をするシーミーがあったり。
親戚の集まりは盛大。集まりでは基本的に男性は酒を飲み、女性が料理や酒を出し入れして男性の世話をするのがしきたりです。
沖縄は車社会。飲み会のたびに旦那を居酒屋まで送り迎えするのも嫁の役割だったりします。
旦那がナイチャー嫁を守ってくれるタイプの人ならいいですが、沖縄のしきたりが当然とばかりに自分の母親と同じような役割を求めるタイプの人だと危険。ナイチャー嫁はよほど忍耐力がないと我慢が限界に達します。
沖縄に移住して5年。私たちはナイチャー夫婦なので何とかやっていけていますが、もし私がナイチャー嫁だったらと考えるとゾッとします。
「沖縄の人と結婚して移住したい」という甘い考えが一番危険です。
嫌われるナイチャー
嫌われるナイチャーには特徴があります。私もこのタイプかもと思い当たる方は、移住には向いていません。
沖縄の文句を言う
沖縄へのリスペクトのかけらもなく、沖縄の文句ばかり言っているナイチャーがいます。このタイプは間違いなく嫌われます。誰も相手にしてくれません。
空気が読めない
沖縄には空気が読めないナイチャーが多いです。沖縄の人たちは気持ちを言葉に出すことが苦手です。何をしてほしいのか、何をすべきか、何をしたらいけないのか。沖縄の人とのコミュニケーションでは空気を読むことが求められます。
空気を読もうとせず、自分の常識を沖縄でも貫こうとするナイチャーは嫌われます。
「ここは自分の島だ」と言わんばかりに沖縄での移住生活をSNSでひけらかしているイタい移住者はこのタイプ。自分では気づいていませんがかなり嫌われています。
金儲けを考えている
沖縄には内地の企業が次々に進出してきています。
「金儲け」がメインの企業や個人は嫌われます。「沖縄に貢献したい」と大々的にアピールするような企業、個人も嫌われます。
沖縄におじゃまする、商売をさせていただく、沖縄の人たちに役に立てれば光栄。控えめな姿勢がなければビジネスもうまくいきません。
欲深い人
欲深いナイチャー。こだわりが強いナイチャーは嫌われます。
沖縄の人たちは互いを許しながら暮らしています。米軍基地問題も、台風被害も、受け入れがたい現実を受け入れながらたくましく生きています。
「自分がこうしたい」「こうじゃなきゃ許せない」と、こだわりの強い人は嫌われます。台風後何時間も停電が続いても、インターネットが復旧しなくてもクレームを言わず耐えれる人。みんなも大変だから我慢しようと思える人でなければ、沖縄では暮らしていけません。
まとめ
沖縄移住5年の私が経験したナイチャー差別についてまとめました。
ナイチャー差別を乗り越えるのは簡単ではありませんが、沖縄の価値観にどっぷりつかる覚悟で差別を乗り越えた先には、穏やかな暮らしが待っています。
当ブログ「宮古島移住だより」は沖縄移住に失敗する人が減ってほしい。1人でも多くの方が沖縄で豊かな移住生活を送ってほしいという思いで執筆しています。
沖縄への移住を考えている皆様の参考になれば幸いです。