私たち夫婦が宮古島に移住したのは10年前。宮古島の知名度は今より低く、移住希望者もそれほどいませんでした。
大きな変化の波にのまれた宮古島。移住した当時年間30万人台だった観光客は年間100万人を超え、移住者も増えました。
南国宮古島での生活を満喫しながらこの土地になじみ永住を決める人がいる一方で、移住に失敗し短期間で帰っていく人も多く見かけました。
宮古島に移住する前、私たちは会社員として働き、あくせく汗を流しながら忙しい日々を送っていました。
当時20代だった私たち。仕事で成果を出そうと必死に働く日々の中で、ふと自分の10年後、20年後の姿を想像し、このままでいいのだろうかと疑問を持ちました。
「もう少しこの会社で頑張ってみよう」「移住するのは逃げることになるのではないか」
さまざまな葛藤がありました。
人生は何のため?誰のため?
夫婦2人で話し合いを重ね宮古島移住を決めました。
「仕事が全てではない人生を」「自分の人生は自分で決める」
私たちの人生は大きく動き出しました。
移住先の宮古島で私たちを待っていたのはどこまでも広がる青い海、真っ白の砂浜。ゆっくりと流れる島時間。
少し車を走らせればお気に入りの海。シュノーケリングも、水平線に沈む夕日を眺めるのも至福の時。都会では感じられない贅沢な暮らしが始まりました。
ただ、全てが思い通りの移住生活というわけではありませんでした。
移住してしばらくすると「非日常」だった宮古島はすっかり「日常」に。
仕事のこと、お金のこと、人間関係のこと。生きていくために様々なことと向き合わなければなりませんでした。
「移住しなければよかった」と後悔し、夫婦でケンカし、島を離れるために転職情報を探したこともありました。
沖縄の離島、宮古島。文化も風習も住んでいる人たちも内地とは違います。私たちも実際に住んでみないとわからないことがたくさんありました。
宮古島に移住して10年。島暮らしの現実を綴ります。
仕事はあるが給料は安い
宮古島には求人情報があふれています。
特に建設業、ホテル、飲食店、介護、保育士、看護師などは慢性的人手不足の状態が続いています。
仕事を選ばなければ、すぐに働くことができます。
宮古島はのんびりしたイメージですが、決して仕事が楽なわけではありません。
宮古島には週休1日の職場が多いです。日曜日はだいたい休みですが、土曜日は働いている人がとても多いです。
給料はかなり安いです。初任給18万円が普通です。15万円のところもあります。20万円もらえればかなりいい方です。
沖縄県民の平均所得は全国の3分の2と言われています。宮古島は沖縄県の平均よりさらに低いです。
新卒も中途採用も給料は変わりません。
宮古島出身者は高校卒業後に島を離れ30代でに帰ってきて働くケースが多いです。
島に20代の若者がいないので、新卒・中途採用という考え方がありません。
移住前、どれだけいい会社で働いていても、仕事で成果を出していても、就職や給料には反映されません。
同じ能力であれば、移住者よりも宮古島出身者が採用されます。コネ採用も多いです。
移住者の中にはカフェをオープンしたり、農業を始る人もいますが、うまくいくのは一部です。
長く移住生活を楽しんでいる人の多くは、宮古島でも給料をもらいながら一生懸命働いています。
宮古島に残る人、帰る人
移住者の中には、宮古島に土地を買い、家を建て、永住を目指す人たちもいます。
一方で、移住3年以内に宮古島生活を切り上げて帰る人も多くいます。
特に単身移住者は島暮らしが長続きしないケースが多いです。
帰る理由は、やりたい仕事がない、給料が安すぎる、宮古島の人が嫌いになった、お酒の飲み方になじめない、などが多いです。
夫婦や家族で宮古島に移住した人たちも、残念ながら半分ぐらいは3年以内に帰っていきます。
特に子育て世代だと、給料の少なさや子どもの教育環境を理由に帰っていく人も多いです。
移住生活を長く続けている人には、共通点があります。一番大切なのは「長く続けられる仕事を見つけること」
生きていくためには仕事が必要です。
移住してカフェを開業する人、農業を志す人、地元企業で働く人、移住者が多い職場で働く人、看護師や保育士など資格を活かして働く人。
様々なケースがありますが、宮古島に長くとどまり、移住生活を楽しんでいる人たちは、移住3年以内に長く続けられる仕事を見つけています。
働くなら島外資本の企業か地元企業か
給料をもらって働く場合、島外資本の企業で働くか地元企業で働くかによって、移住生活は大きく変わってきます。
移住者が採用されやすいのは島外資本の企業です。地元企業だとどうしても地元出身者が優先的に採用されてしまいます。
島外資本の企業の場合、働く人のほとんどは移住者です。島外資本の企業だからと言って給料が高いわけではありません。本社採用と宮古島採用で給料に差をつけているところもあります。
島外資本の企業の大半はホテル業などの観光関連。ホテル従業員は労働時間が不規則。接客業に慣れていない人はストレスを感じるかもしれません。
仕事が忙しく、せっかく宮古島に移住したのに、家と職場の往復で毎日が過ぎていく移住者も多いです。ホテルの従業員は離職率が高いです。
地元企業の場合、働く人のほとんどは宮古島出身者です。職場には独特のルールや風習があります。勤務管理をきちんとしていなかったり、残業代が出なかったりすることもあります。
地元企業は、飲み会も多いです。宮古島には「仕事よりも酒の席での振る舞いの方が大事」と考えている人もいます。
島外資本の企業だと、移住者の知り合いは増えますが、宮古島出身者との人脈はなかなか広がりません。
地元企業だと宮古島の人たちとの人脈がどんどん広がります。宮古島の人たちは、本当に困った時に助けてくれます。
生活はしやすいが物価は高い
宮古島はとても生活しやすい場所です。市街地の半径2キロのエリアに生活に必要なものは全てそろっています。
コンビニもスーパーもドラッグストアもたくさんあります。信号が少なく、渋滞もないので、普通に生活するだけならノーストレス。買い物も通勤もとても便利です。
夏は暑くスコールもあるので、車なしではきついです。車があれば生活は快適です。
全体的に物価は高いです。
まず、家賃が高い。宮古島の家は台風に備えて鉄筋コンクリート造の建物がほとんど。
鉄筋コンクリートのアパートやマンションは建設費がかかるので、その分家賃も高く設定されています。
単身向け1DKで3万~4万円。世帯向け3DKで5万~6万円が家賃の相場でしたが、最近は住宅不足で家賃が高騰し、10万円のアパートもあります。
最近では移住者をターゲットに家賃を高く設定する不動産屋もあるので注意が必要です。
優良物件はネットに乗る前に地元民がおさえることも多いです。
特に物価が高いのはガソリン。物価高騰で、1リットル税込200円のスタンドも出てきました。
牛乳、パン、卵も高いです。牛乳は946ml(沖縄に1ℓの牛乳はありません)で280円。
物価が高いので、ネット通販を利用している移住者も多いです。
宮古島でネット通販を利用する場合、送料無料と書かれていても、離島の宮古島は送料がプラスされることがあるので注意が必要です。
マリンレジャー以外の娯楽がない
マリンレジャー好きにとっては、宮古島は最高の環境です。1年を通してダイビングを楽しめます。シュノーケリングでもサンゴ礁の魚たちにたくさん出会えます。
マリンレジャーが好きで移住してくる人は多いです。私も移住したてのころは毎週のように新城海岸でシュノーケリングを楽しみました。
マリンレジャー以外の娯楽はほとんどありません。「美しい海があれば大丈夫」と思いがちですが、長く暮らしていると欲がでてきます。
小さな映画館、カラオケ、ゲームセンターはありますが、プロ野球やサッカー観戦、好きなアーティストのライブ、演劇鑑賞はできません。
遊園地、動物園、水族館、ボーリング場はありません。
あれもしたい、これもしたいというタイプの人たちは3年以内に宮古島生活に飽きます。宮古島移住には、欲がない人が向いています。
大型出費は飛行機代
宮古島には娯楽が少なく、普通に暮らす分には、都会よりもお金は使いません。
お酒を飲む機会は多いですが、地元の人向けの居酒屋は安く、交際費はそれほどかかりません。運転代行もタクシーも都会より安いです。
宮古島移住者の一番の出費は飛行機代。
移住者は里帰りで飛行機を使うしかありません。家族が多ければ多いほど、飛行機代は高くつきます。
計画的に帰省できるなら飛行機代はおさえられますが、お葬式などで突然帰らなくてはならなくなったときの飛行機代は家計に大打撃です。
観光シーズンがピークの7月・8月はチケットがかなり取りにくいです。
夫婦2人の帰省に20万円かかったこともあります。私の1ヶ月の給料より高いです。お葬式など、突然帰る必要がある時はこれぐらいは覚悟しなくてはなりません。
子育てしやすい宮古島
宮古島は子育てがしやすい地域。移住から10年。移住して一番よかったと思えるのは子育て環境のすばらしさです。
「宮古島は子どもが主役」「島の子はみんなの子」
親戚でもないのに子どもを預かってくれたり、知らないおばさんがスーパーでお菓子をくれたり。
移住者の私たち夫婦は「よそ者」という目で見られることもありましたが、子供が生まれたことで、私たちへの見方が変わりました。
大げさかもしれませんが、宮古島では、子どもが生まれたら一人前。
仕事で昇進したり成果を出しても誰も声をかけてくれませんが、子供が生まれると、そんなに親しくない人たちも「おめでとう」「かわいいね」「何ヶ月?」と声をかけてくれます。
地元企業の場合、仕事を抜けて子どもを小児科に連れて行ったり、子供の運動会があるから仕事を休んだりするハードルは、都会に比べるととても低いです。
子育てへの職場の理解は本当にありがたいです。
市街地エリアに住めば、生活に必要なものは全て近くで買えます。
職場も、保育園も、小児科も、公園も家から車で5分です。
宮古島の教育環境
子育て世代の移住者が気になるのは、宮古島の教育環境。「学力」だけで見ると、教育環境はよくありません。
毎年全国の小学生中学生が受ける「学力テスト」の点数は、全国平均よりかなり低いです。
沖縄県全体の学力が低いですが、その中でも宮古島はさらに低いです。
宮古島に高校は3校ありますが、ほとんど全員が希望の高校に入学できるので、高校入試を控えた中学3年生も勉強してくれません。
宮古島に大学や専門学校はありません。18歳になると子供たちは島を出ます。
高校入試がぬるま湯なので、大学入試が初めての本格的な試験。
都会の人の多さ、寒さ、プレッシャーに負けて大学入試で実力を発揮できない子どもも多いです。
勉強よりも部活に力をいれる子どもが多く、親も学力は重視していない人が多いです。
台風は停電が大変
宮古島には毎年3~4個台風が接近します。台風の勢力はものすごく、命の危険を感じます。
暴風警報が出ている間は部屋の窓が常にゴゴゴゴゴと音を立てながら小刻みにゆれ、窓の隙間から雨水が吹き込んできます。
台風で大変なのは停電。長い時はまる1日停電します。
宮古島の中でも市街地から離れた地域ほど停電しやすく、復旧が遅いです。
一度停電すると、台風が通り過ぎるまで復旧しません。
停電は台風が来ると毎回のように発生します。
台風時にはインターネットもよく止まります。停電が復旧してもインターネットが回復しないこともあります。
一軒家は台風への備えが大変です。
ベランダの鉢植えの植物や自転車を全て家の中に入れ、窓ガラスが割れないようガラスにガムテープを貼ります。
これをやらないと、鉢植えや自転車が風に飛ばされて、どこかの家の窓ガラスが割れてしまします。
台風が通り過ぎたあとは庭がめちゃくちゃ。玄関前にはどこかから飛んできた小枝や葉っぱが散乱しています。
宮古島の生活物資の99%は貨物船で港から入ってきます。
台風が通過したあと最初の船が入るまでの数日はスーパーが品薄になります。乳製品は毎回必ずなくなります。
津波は大丈夫?
四方を海に囲まれた宮古島。当然津波も心配です。
宮古島は過去に津波で大きな被害を受けています。
1771年に発生した明和の大津波では宮古島で2500人以上が犠牲になりました。
現在リゾートホテルが立ち並ぶ宮古島の南海岸は壊滅的な被害を受けました。
沖縄県の調査では、宮古島近海でもM9.0の海溝型地震が発生することが想定されています。
最悪の場合、宮古島では津波により約3700人が死亡すると想定されています。
宮古島に移住したら海の近くに住みたいと思いがちですが、ある程度海抜の高いところに住むことをオススメします。
住むなら市街地か田舎か
10年前まで宮古島市は平良市、城辺町、伊良部町、下地町、上野村の5市町村から成り立っていました。
平良市以外の城辺、伊良部、下地、上野は宮古島の中でも田舎のエリアです。
私は平良の市街地エリアに住んでいます。市街地エリアに住むメリットはとにかく生活しやすいこと。
市役所、郵便局、スーパー、コンビニ、ドラッグストアなど、生活に必要なもの全てが近くにあります。
市街地エリアには繁華街もありますが、住宅地に入るととても静かです。飲み会のあとも歩いて帰れるので楽です。
家から海が見えるわけではありませんが、車を5分走らせればビーチです。
城辺や伊良部などの田舎に暮らしている移住者もいます。
田舎に暮らすメリットは市街地以上に時間がゆっくり流れていること。
市街地のアパートだと近所づきあいはありませんが、田舎だと地域の行事に参加したり、野菜をもらったりする機会も多いです。
田舎は台風の時が大変です。
すぐに停電し、復旧にも市街地以上に時間がかかります。
暴風警報が出ると伊良部大橋、池間大橋、来間大橋は通行止めになるので、島から出れなくなります。
長く暮らし、地域に貢献していれば島の人たちも心を開いて仲良くしてくれますが、特に田舎だと最初は「なんで移住者がわざわざこんなところに引っ越してきたのか」と警戒されます。
宮古島への引っ越し費用
離島の宮古島。業者に全てお任せだと引越し費用はものすごく高くつきます。
引越しには工夫が必要です。
私たちは移住前にかなりのものを捨てました。リサイクルショップや知人に売ったものもあります。
宮古島に持ってきた家電はテレビ、テレビ台、洗濯機、冷蔵庫だけ。この4つの家電だけは引っ越し業者にお願いしました。
本棚、ソファー、電子レンジ、掃除機、炊飯器などは移住前に処分しました。
宮古島では車が必需品。東京の有明港に軽自動車を持ちこみ、業者に車を預けて宮古島に運んでもらいまいた。
東京からだと7万5000円で運べました。
洋服など身の回りの品は処分し、宮古島に送る荷物は最小限にしました。
ゆうパックが安かったので段ボールで郵便局から宮古島に送りました。
・大型家電は引っ越し業者
・軽自動車は港に持ちこみ船で輸送
・身の回りの品はゆうパックで安く
この方法で引っ越し費用は20万円以内に抑えられました。
宮古島バブル
宮古島は大きな変化の時を迎えています。宮古島への観光客数は2015年が50万人でしたが2018年には110万人を突破。宮古島バブルと騒がれました。
コロナで一時的に観光客は減りましたが再び年間100万人を超えています。
海外からの国際便やクルーズ船が再開して外国人観光客も多いです。
宮古島の人たちは基本的に、開発することが経済発展につながると考えています。
建設業者が儲かれば島が豊かになるという考え方です。
経済の発展につながりそうなものなら、外から来るものも拒まず受け入れます。
宮古島の港には、バブル期にはなかったクルーズ船専用岸壁が完成。
2024年には中国人・台湾人が大量にクルーズ船で宮古島に押し寄せています。
私が移住した頃は、観光客は30万人ほど。宮古島にはゆっくりとした時間が流れていましたが、この10年で宮古島の時計の針が一気に進みつつあるのを感じます。
移住者が宮古島に思い描く「沖縄の離島でスローライフ」というイメージは、少しずつ失われつつあります。
賃貸空き物件がない異常事態
宮古島は賃貸マンション・アパートの空き物件が極端に不足しています。
家賃が高騰しワンルーム10万円に跳ね上がりました。
住む場所がなければ移住できません。
どうしても移住したい人の中には、1ヶ月以上ゲストハウスに宿泊しながら部屋を探している人もいます。
1ヶ月間、毎日不動産屋に問い合わせても、希望価格の空き物件は見つからないような異常事態。
宮古島の不動産屋では「空き物件が出たら契約させて」というような予約はできません。
マンションやアパートは次々建設されていますが、完成前から全ての部屋の入居者が決まっているような状況です。
この状態は2017年頃から続いています。家賃も高騰する一方です。
どうしても今すぐ宮古島に移住したい人は、民宿やゲストハウスに宿泊しながら安い部屋を探すか、寮がある企業の従業員として働くしか選択肢がありません。
移住して10年
宮古島で私たちを待っていたのは、移住前には想像することができなかった、島暮らしの現実でした。
今思えば、移住前の私たちは移住についての情報が決定的に不足していました。
「もっと深く宮古島について知り、覚悟を決めた上で移住生活をスタートできていれば」
そんな思いからこのページを立ち上げました。
決して順風満帆ではなかった私たちの移住生活。
仕事、生活、子育て。
移住10年の今だから話せる島暮らしの現実を発信していきます。
このブログが宮古島への移住を考えている皆様の情報源となり、1人でも多くの方が幸せな移住生活を送れるよう願っています。