大神島で感じた別世界~沖縄離島の原風景ここにあり~

宮古島に移住して5年。初めて大神島に行ってきました。

これまで多くの離島を訪れて来ましたが、大神島ほど「沖縄離島の原風景」を感じた島はありません。

人口25人の小さな島は、宮古島とは全くの別世界。

宮古島で開発が進む今だからこそ、大神島の景観は際立っていました。

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フェリーで大神島へ

宮古島の離島と言えば、池間島、来間島、伊良部島。宮古島と橋でつながり、今では観光客の定番ルートとなっているこの3つの島も、橋がかかるまではフェリーでしか行けませんでした。

1992年に池間大橋、1995年に来間大橋、2016年に伊良部大橋が完成。橋の開通によって観光客は増え、島民の生活は便利になりましたが、池間島や来間島の人口は目に見えて減っていきました。

宮古島の北北西4キロに位置する大神島。人口はわずか25人。宮古島の北側にある島尻漁港からフェリーで行くことができます。

宮古島と大神島を結ぶのは大神海運の船「スマヌカリユス」。1隻の船が、宮古島の島尻漁港と大神港を1日4往復しています。

朝、大神島を出発するのが初便。夜、大神島に戻るのが最終便。船には船長1人、船員1人。2人とも大神島の住民です。

船の定員は30人。一度に30人しか大神島に入ることはできません。



11月のとある日、家族で大神島に渡りました。

宮古島と大神島の間に広がるのはサンゴ礁の海。船サンゴ礁の合間の水深の深いところを通って大神島へ向かいます。

船のすぐ近くにはサンゴ礁。海の底の砂まではっきり見えるほど、海水の透明度は高いです。

20分ほどで大神島に到着。宮古島から何度も眺めていた大神島に初上陸。初めて近くで見た印象は、思っていたよりも小さな島だということ。

港にはほとんど人がいません。風もなく、とても静かな港。「おじゃまします」と小さな声で言って島に入ります。

宮古島に移住して5年。宮古島の有名なビーチには何度も行き、穴場のビーチにも詳しくなりましたが、大神島は全く別世界でした。

ゴルフカートが走る大神島

大神島の世帯数は17。人口は男性が14人、女性が11人、合計25人。島で暮らす人の多くはお年寄りで、一人暮らし世帯のお年寄りも多いです。
(人口データは2017年末時点・宮古島市まとめ)

大神島に向かうフェリーでは食材やトイレットペーパーなどの生活物資も運ばれていました。私が乗船した時にも、船長さんが島尻漁港で生活物資を船に積み込んでいました。



大神島に運ばれた生活物資はゴルフカートで坂道を登り、住宅があるエリアまで運ばれます。

南の島の小さな漁港にゴルフカート。なんとも不思議な光景です。

大神島を走るゴルフカートは、かつて宮古島のゴルフ場で使われていたもの。ゴルフ場の運営会社が数年前の大神自治会に寄付しました。

海の近くで使われているので、カートはさすがにサビていますが、馬力は十分。急な坂道をグイグイと登って行きました。

大神島では車をほとんど見かけません。車を運べるサイズのフェリーがないので、当然といえば当然なのですが、宮古島生活が長い私にとっては、それだけでとても新鮮な光景でした。

開発が進み交通量が増える宮古島では、子供と一緒の時は常に車に注意しなければなりません。大神島では、子供たちも自由に歩かせることができます。

人が少なく、車がなく、とても静か。島に入ってすぐに「この島では自然の力が人間の力を上回っている」と直感的に感じました。

うぷゆう食堂

港の近くに「うぷゆう食堂」という食堂があります。大神島で唯一の食堂です。

大神島出身の男性が、数年前に島に戻り、食堂を開店しました。

メニューは、カーキダコ丼、カレーライス、そば、かき氷。とてもシンプルです。

店主が一人で食堂を切り盛りしているので、一度に観光客が店に入ってきたときなどは大変そうです。

店内には4人がけのテーブルが3つ。

大神島名物のカーキダコ丼を頂きました。

宮古島の北側の狩俣や島尻にはタコの漁師がいます。カーキダコは、タコを燻製にしたもの。狩俣の「すむばり食堂」、大神島の「うぷゆう食堂」でしか食べることができない名物料理です。

燻製にした固いタコのコリコリした食感が一番の特徴。生で食べるタコのプリっとした感じはありませんが、これはこれでとてもおいしいです。地元でとれた海の恵みを頂けるのはありがたいことです。

店内はとても静か。料理が出てくるのが遅くても、クレームを言う客は一人もいません。

最近、宮古島の飲食店では観光客の態度が悪くなってきたという話をよく聞きます。早く料理を出せと言ったり、注文したものが違うと怒ったり。店側に落ち度があるのは事実ですが、数年前まではこんなことはほとんどありませんでした。

大都市圏から宮古島への直行便が飛ぶようになり、宮古島旅行が気軽になったことで、都会と同じ感覚のまま宮古島の居酒屋に来る人が多いんだとか。宮古島のゆっくりとした島時間の時計の針は、観光客によって確実に進められています。

大神島の食堂には、クレームをつけられない空気感がありました。食堂の窓がら見える大神港の風景。島で暮らす人たちの息遣いが、訪問者を「島におじゃましている」という感覚にしてくれます。

全てが絵になる

食事を済ませ、大神島の絶景スポット「遠見台」を目指します。標高74メートル。港から急な坂道を登り、集落の合間を通って山道を登るルートです。

坂道が多い大神島。港から集落へは急な上り坂が続きます。運動不足の私には、気合いを入れないと登れない坂。思っていた以上に足腰にきます。

でも、そんなことは忘れてしまうぐらい、大神島の風景はすばらしい。どこを切り取っても絵になります。

一度に島に入れるのは船の定員の30人。自分たち以外に人がほとんどいないので、道も、木々も、建物も、目に入ってくるもの全てが絵になります。

坂をしばらく上って振り返れば、サンゴ礁が広がる美しい海。大神島の風景と美しい海のコントラストは、なんともいえない絶景です。

集落に向かう坂の途中にある公民館の前で、移動販売車を見かけました。野菜や油など、生活物資が販売されていました。年配の女性が1人買い物に来ていました。

「こんにちは」とあいさつすると「こんにちは」と笑いかけてくれました。大神島の人たちは皆、屈託のない笑顔をしていました。

しばらく坂を登ると、25人が暮らす集落にたどりつきます。集落もとても静か。一軒の家からテレビの音が聞こえていましたが、それ以外に音はありません。



民家が立ち並ぶ集落の佇まいは、沖縄離島の原風景そのもの。

沖縄離島の原風景と言えば、赤瓦の家々が立ち並ぶ竹富島が有名ですが、大神島の集落の佇まいは、竹富島以上にすばらしい。

竹富島が「観光客のために整備された原風景」なら、大神島は「人々の暮らしがにじみ出た、あるがままの原風景」といった感じ。

大神島の景観のすばらしいところは「あるがままの原風景」でありながら、乱雑な感じがなく、とてもきれいだということ。

集落の佇まいから感じられたのは「上品さ」「気高さ」でした。

遠見台へ

家の間を縫うように作られたクネクネ道を通り抜け、山道に入ります。

雨が数日続いた後の晴天。急に気温が上がったので、蚊がたくさんいました。

数日後に島の神行事があるとのことで、山道の途中にある広場はきれいに清掃されていました。

宮古島では集落ごとに様々な神行事があります。大神島でも古くから伝わる神行事を集落の人たちが毎年行っています。神行事の期間中、観光客は遠見台のある山には入れません。

遠見台はそれほど神聖な場所なのです。

山道がしばらく続き、その先は木の階段。

階段をのぼりきれば、山の頂上です。

島に着いた直後に食堂に行き、他の観光客とタイミングがずれたので、階段ですれ違う人は全くいません。

2歳の娘もグングン階段を上り山頂を目指します。

山道を登りはじめて10分ほど。山頂に到着。

頂上付近に神岩があり、神岩の前には祠があり、神酒のようなものが備えられていました。



遠見台からの景色は、想像以上にすばらしかったです。大神島とその周りの海を、360度見渡すことができます。

宮古島は標高の低い島なので、高い場所から海を見下ろせるような観光スポットはほとんどありません。大神島の遠見台からの眺めは、飛行機の着陸前の目線に近い感じ。

「あれが池間島、あれが西平安名崎、大神港もよく見える」と話しているとあっという間に時間が経ちます。

しばらく景色を堪能した後、神岩に「おじゃましました」と手を合わせ、山を降ります。

大神島の滞在時間は1時間30分ほど。12時すぎに島に到着し、14時前の船で島に戻りました。

帰りのフェリーに乗り込んだのは、行きの船とほとんど同じ顔ぶれの観光客。

観光客が帰り、次の船が来るまでの約1時間。大神島には島民だけの静かな時間が流れます。

大神島のあれこれ

宮古島移住5年の私。宮古島に住んでいると、大神島について話を聞く機会があります。印象に残っているものをまとめました。

一周道路を作れなかった

沖縄の離島には必ずと言っていいほど一周道路があります。

宮古島にも、池間島にも、来間島にも、伊良部島にも、島を一周できる道路があります。池間島のような小さな島だと、観光客は一周道路をドライブして観光することが多いです。

その昔、大神島にも一周道路を作る計画がありました。道路工事の途中、ある地点まで工事を進めたところで、作業員に体調不良が相次いだそうです。

工事が中断された場所が、島で神聖な場所とされていたことから「神様が道を通すのを許さなかった」と噂されています。

「神様が許さなかった」と言われて納得できてしまいそうな空気感が大神島にはありました。

ジェットスキーで島に入る医者

人口25人の大神島。島に病院はなく、診療所もありません。

病院に行くためには、島民は船に乗って宮古島に渡らなければなりません。

そんな大神島住民のために、宮古島の医師が自前のジェットスキーで診療に向かっているという話を聞きました。

ジェットスキーで海を渡り診療に向かうなんて、まるでドラマの世界。それを現実にやってしまう医師がいるとは!驚きとリスペクトが止まりません!

大神島で出会った人はほとんどが高齢者でした。高齢化が進む島に医療面での支えがあるのは、すばらしいことです。

大神島に行かない宮古島の人たち

宮古島出身者で大神島に行ったことがある人は少数派。宮古島で何十年も生活している人でも、大神島には行ったことがないという人が多いです。

宮古島の田舎にはたくさんの集落があります。こんなに狭い宮古島ですが、集落ごとに住んでいる人の気質や風習が異なります。

宮古島の人たちは「縄張り意識」がとても強いです。自分たちの集落に外部から入ってくるものを拒みます。逆に、他の集落に介入しようとはしません。

宮古島の人たちにとって、大神島は自分たちの「外部」にあるもの。「大神島の人たちの生活に介入することになるので、島に入るのはやめておく」と考える人もいます。

宮古島の年配の人は特にこうした考えを持っていることが多いです。(移住したての頃は島の人たちの「縄張り意識」は意味不明でしたが、最近少しずつその感覚を理解できるようになりました)

静岡県民が富士山に登らないように、京都府民が清水寺に行かないように、単純に「地元の景勝地に行かない」という理由もあると思います。

どちらにしても、宮古島に人たちにとって大神島は「おじゃまする場所」

宮古島の北側をドライブしていると「大神島行ったことある?」という会話になることは多いですが「行ったことない」という人がとても多いです。

まとめ

宮古島で開発が進み、のんびりした島の空気感が失われつつある今。大神島に残る沖縄離島の原風景は、特に際立って見えました。

人口わずか25人。住民の大半は高齢者。島民は皆、屈託のない笑顔で迎えてくれました。

大神島にあるのは、宮古島とは全くの別世界、別時間。

気高さ、上品さ、屈託のない笑顔。

いつまでも、島の人たちの穏やかな暮らしが続くよう、願うばかりです。

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