「都会は息苦しい」「もう限界」「脱出したい」
東京で会社員として働いていた私は、都会の息苦しさに耐えられなくなり、南の島に移住しました。
「楽園」「バカンス」「癒し」
南の島には息苦しさとは真逆のイメージがあります。
はじめは順風満帆だった私の南の島暮らし。しかし、徐々に移住生活にほころびが出始めました。息苦しい都会を脱出して南の島に移住した私が5年後どうなったのか。
誰かが同じ過ちを繰り返さないために、私の体験談をまとめます。
都会は息苦しい
東京での暮らしに息苦しさを感じていた頃、東京スカイツリーから見下ろした都会の街並みは、墓場に見えました。
密集したビル群。狭い道を窮屈そうに走る車。小さすぎる公園。人間が自分たちを満たすために植えた緑。満員電車。
東京で暮らしている自分は「都会」という墓場に閉じ込められているような感覚になりました。
都会は町の作りにゆとりがありません。道が狭く、駅のホームが狭く、電車内が狭く、エレベーターが狭い。上を見上げても視界に入るのはビル群。空は少ししか見えません。
狭い空間に閉じ込められていると、人は心が狭くなり、息苦しくなってきます。
自分を守ることが最優先。電車の扉が開けば、急いで車内に乗り込み座席を確保する。ホームの列に並び、電車に足を踏み入れる時、他人のことを思いやっている余裕などありません。
都会の職場の息苦しさも、私を追い込んで行きました。
自分の価値観が正しいと思い込んでいる先輩社員。強制的に出席させられる飲み会。仕事のノルマ。終わらない残業。就職活動をしていた頃に、思い描いていた社会人生活とは程遠い暮らし。
朝起きるのが辛く、出社するのが辛く、職場の空気を吸うだけで息苦しい。
人生このままでいいのか。息苦しさを感じたまま、都会の空気を吸い続けるのか。
「自分の人生は自分で決める」
私は5年前、東京の会社を辞め、南の島に移住しました。
南の島の暮らし
私が移住したのは沖縄の離島、宮古島。人口5万5千人の小さな島です。
移住をきっかけに東京での仕事を辞め、私は宮古島の地元企業で働きはじめました。
移住当初、南の島での生活は全てが輝いて見えました。
ゆとりのある町の作り。ゆっくりと走るオジーの軽トラック。広い公園。生き生きと自由に育つ植物。
満員電車がないどころか、電車も線路もありません。電車の時間に追われることはありません。車も信号も少なく渋滞もありません。
都会の暮らしの息苦しさから解放された私。心の底まで南国の新鮮な空気を吸い込み、少しずつ人間らしさを取り戻していきました。
南の島での暮らしは私の人生のリハビリ。今思えば、都会に住んでいた頃の私は心も体もボロボロでした。リハビリが必要なほど、疲れきっていました。
人のやさしさ
都会を離れ、宮古島の人たちの心の温かさに触れ、自分の人としての小ささを知りました。
人間は自分が満たされることに喜びを感じる生き物です。
都会の息苦しさの中で暮らしていた私は、自分の喜びを阻害する可能性がある他人はライバルであり、仲間ではないと感じていました。
宮古島の人たちは、他人の喜びも、自分の喜びのように感じる心の広さを持っています。
子供が生まれると子供の喜びを自分の喜びとして感じられるように、宮古島の人たちは他人の喜びも自分のことのように喜びます。
島の人たちは「家族」の範囲がとても広いです。
息苦しい都会で1人暮らしをしていた私にとって「家族」は自分しかいませんでした。離れた場所に暮らす親や兄弟の喜びを自分のことのように喜ぶ余裕はありませんでした。
宮古島の人たちは親戚の喜びも、近所の人の喜びも、自分のことのように喜びます。宮古島の人にとっては、親戚も、ご近所さんも「家族」のような存在です。
そう思えるのは、心の余裕があるから。自分自身が満たされてなければ、周りの人の喜びを素直に喜ぶことはできません。
島の人たちには欲深さがありません。毎日朝が来て、今日も命があることに感謝し、小さな喜びに幸せを感じて生きています。
息苦しい都会では見逃してしまう喜びの種を、島の人たちは拾い集め、心の中で実らせています。
宮古島は経済的に豊かな島ではありませんが、島に暮らす人たちの心はとても豊かです。
南の島の息苦しさ
宮古島の人たちのように心豊かに生きれればいいのですが、移住者の私にとって、それは簡単なことではありませんでした。
受験戦争、就職戦争、職場での競争。都会の競争社会の中で生きてきた私は、移住したからといって価値観を変えることはできませんでした。
都会の価値観が染みついていた私にとって、島の人たちのように欲なくつつましく生きることは、人生をギブアップすることのように感じられました。
目標を持って、高みを目指す。相手を蹴落としてでものし上がる。私が生きてきた人生は、島の人たちの価値観とは真逆なものでした。
宮古島の職場で働き始めると、島のマイナス面が見えてきました。島の人たちの仕事はとてもルーズ。締め切りがなし崩し的に伸びたり、結論を出さないまま話し合いが終わったり。
その価値観にどっぷりつかってしまえば私も楽になれたのですが、都会暮らしが長い私は競争社会の価値観を捨てきれませんでした。
島暮らしが長くなるにつれ「都会から逃げてきた」ことへの罪悪感で心が満たされるようになりました。
島に長くいればいるほど、島のルーズさに心と体が慣れ、都会では使い物にならない人材になります。その事実が重くのしかかりました。
東京でバリバリ働いている人たちのSNSを見ると、心が痛くなり、焦りが芽生えました。
私は宮古島で次第に息苦しさを感じるようになりました。それは、都会の息苦しさとは全く異質のもの。
「都会から逃げてきた」ことへの罪悪感と「都会で使えなくなる人材になる」ことへの焦りが私を追い込んで行きました。
都会で暮らしていた頃のように頭痛が出はじめ、貧乏ゆすりをするようになり、心が落ち込み、うつ病寸前の状態になりました。
島の人たちのように暮らす
私に残された道は、墓場のような息苦しい都会に戻るか、罪悪感と焦りを感じながら島で生きるかの2択。
島での暮らしがこんなにも厳しいものだとは正直思っていませんでした。宮古島移住者の半分は3年以内に島を出ます。実際に暮らしてみてその意味がわかりました。
全てを捨て、人生をリセットするつもりで南の島に来ましたが、私には覚悟が足りませんでした。移住することは、全てを捨てることです。
私にとって最後まで捨てられなかったのは、都会で染みついた競争社会の価値観。
バリバリ働いている人ほど都会での暮らしが息苦しくなり、遠いどこかに移住したくなりますが、バリバリ働いている人ほど価値観を捨てられず、移住生活は苦しくなります。
都会の息苦しさから逃げるように南の島に移住して5年。私は都会に戻るための転職活動を始めました。転職活動は想像以上にうまくいきません。
都会でのキャリアを捨てて南の島に移住したような人間に、都会の企業が見向きもしないのは当然です。
「さて、この先どうやって生きて行こうか」
移住生活がうまくいっている移住者の先輩たちは、島の人たちのように穏やかに生きています。欲はなく、つつましい暮らしの中に小さな幸せを見つけて生きています。
「このまま島に残るか、都会に帰るか」
島で生きて行くには、島の価値観にどっぷりつかり、都会で使えない人間になるしかありません。島の人たちのように生きるには、まだ時間がかかりそうです。
まとめ
息苦しい都会を脱出し南の島に移住した私が5年後どうなったのかをまとめました。
南の島には都会にはない息苦しさがありました。私を苦しめているのは都会から逃げてきた罪悪感と、都会では使えない人材になることへの恐怖です。
島の人たちや移住者の先輩のように島の価値観にどっぷりつかればこの島で生きていけそうですが、私にはまだ心の修行が足りません。
このブログでは南の島への移住を考えている皆様が私と同じ過ちを繰り返さないように、移住生活のリアルを発信しています。皆様の参考になれば幸いです。