「人生ないものねだり」の末路|南の島に移住した会社員の話

「人生はないものねだりの旅である」

大都会東京から、沖縄の離島、宮古島に移住して5年。

あれほど憧れていた島暮らしは、すっかり日常になってしまいました。

大都会にない離島ののんびりした空気感を求めていた私は今、都会の刺激が恋しくなってきています。

ないものねだりの人生はどこへ向かうのか。移住5年の私の人生のこれまでの変化と、今考えていることを書いてみます。

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移住前

大学卒業後就職し、サラリーマンとして働いていた私。

ブラック企業というほどではないけれど、決してホワイトではない会社勤めを続けるうちに「自分の人生にないもの」を求めるようになりました。

このまま会社勤めを続けて得られるものは、会社での出世、仕事で成果を出したという自己満足、仕事の成果に対する周りの評価。

仕事を続ければ、大きなプロジェクトを任されるようになるかもしれない。会社の枠を超えて、仕事の幅が広がるかもしれない。

都会で働き続ける人生に希望がなかったわけではありませんでしたが、サラリーマンンとして生きる人生に疑問を持ち始めました。

家と会社の往復だけで過ぎて行く毎日。職場での会話はほとんど仕事のことばかり。家に帰れば、疲れて寝るだけ。休日も疲れがたまって家で眠るだけ。

まじめな性格で、仕事はきちんとやりたいタイプなので、仕事の手のぬき方が分からず、必要以上に気を張り、ストレスをためていたのかもしれません。

日に日に大きくなっていく「人生のないものねだり」

家と会社の往復で終わる人生は嫌だ。幸せってなんだろう。人間らしい暮らしがしたい。地に足をつけて生きていることを実感したい。

社会人としての常識を身につければ身につけるほど、人間らしさが失われていく、そんな暮らしでした。

今思えば「暮らし」と表現できるようなものではありませんでした。働いて、食べて、寝るだけ。「食べる」というより「摂取する」。「寝る」というより「倒れる」という状態でした。

移住の決断

移住の決断は簡単ではありませんでした。

移住することは、これまでに積み上げてきたものを捨てることでもあります。

私がなかなか決断できなかった理由は「人生にあるもの」への執着

安定した仕事、仕事で築いた人間関係、仕事で身につけたスキル。

仕事はハードでしたが、仕事の内容自体が嫌いではありませんでした。あと5年この環境で踏ん張れば、人間らしく都会でも生きていけるような気もしていました。

「人生にないもの」を求める気持ちと「人生にあるもの」への執着。

2つを天秤にかけ、悩みました。

沖縄の離島、宮古島は人口5万4千人の小さな島。主な産業は観光業と農業。

隣の石垣島と面積や人口規模は変わりませんが、石垣島に比べると移住者の数が少なく、離島ならではのんびりとした島時間が流れています。

私が求める「人生にないもの」は確かに宮古島にありました。

地に足をつけて暮らす、豊かな人生。頭痛のない人生。家と会社の往復だけではない人生。

人生の大きな決断、変化の時なので、簡単には結論は出ませんでした。

今思えば、私の背中を押したのは、世間全体に流れる「不安」な空気感だったのかもしれません。

私が宮古島移住を決断したのは、東日本大震災後。

日本全体が、漠然とした不安に包まれていました。

「人生何が起こるかわからない」

後で後悔しないように、心の声に正直に、心が求めている方へ動き出そう。

私は宮古島移住を決断しました。

単身での移住ではありません。妻と2人、夫婦での移住でした。

移住するかどうかは夫婦2人で何度も話し合いました。妻も同じように都会での人生に行き詰っていました。

移住を決断する上で2人で決めたルールは「移住するのは2人とも移住したい場合だけ」ということ。

どちらか1人が移住を選んでも、もう一人が移住を躊躇しているなら、移住はしないでおこうということ。

半年ほど悩み、決断した宮古島移住。

人生に「あるもの」を捨て「ないもの」を求めて未知の世界に飛び込みました。

宮古島生活

宮古島でカフェを開業したり、農業を始めたりするほどのエネルギーは私にはありませんでした。

会社員としての人生しか経験していない私。

当時の目的は「宮古島に移住すること」であって、「移住先で何をしたいか」についてはあまり考えていませんでした。

移住すればそれだけで人生がうまくいくような気がしていました。

都会の息苦しさに毒され、そこから脱出することが人生の全てのように感じていました。

私は宮古島で会社員として働きはじめました。

都会で働いていた頃に比べれば仕事のペースはゆっくり。

ほとんど仕事をしていないのになぜか許されている人、仕事を休みがちの人、自分のペースでしか働かない人。

宮古島の職場には、都会の職場にはないルーズな空気感がありました。

仕事よりもお酒の席での振る舞いが重視されているような感じもしました。

仕事をはじめて数カ月、職場の同僚に突然、ショッキングな言葉を言われました。

「ここは楽園じゃないよ」

東洋一とも言われる海の美しさから、観光雑誌では宮古島は「南国の楽園」と紹介されています。

都会に毒されていた私の唯一の心の希望だった宮古島は、私にとっては「心の楽園」でした。

「楽園じゃない」という言葉の真意は私には理解できませんでした。

移住1年目は、島暮らしを楽しめました。

島の全てが、都会にはないものばかり。

少し車を走らせれば、エメラルドグリーンの海。シュノーケルを持って海に入れば、熱帯魚やサンゴ礁の広がる大自然を満喫できます。

地元の店で宮古そばや、沖縄料理を食べているだけで心が満たされました。

「人生のないものねだり」の欲求が満たされた私。人生はこのままうまくいくと思いこんでいました。

移住者の壁

宮古島には移住3年の壁があると言われています。

移住者の半分は3年以内に島を出て帰っていきます。

私は移住2年目から、移住者の壁を感じるようになりました。

移住2年目になると、1年目には感じなかった不安や不満を感じるようになりました。

給料が少なすぎる。

意外と休みが少ない。

娯楽が限られる。

仕事が楽しくない。

刺激がない。

憧れていた宮古島での暮らしが日常になると、宮古島に「あるもの」ではなく「ないもの」に目がいくようになりました。

「人生のないものねだり第2章」が幕を開けてしまいました。

給料が少なくても、刺激がなくても、宮古島に移住すればそれだけで人生が好転すると思いこんでいた私。宮古島は楽園だと思い込んでいた私。

職場の同僚が私に言い放った通り、宮古島は楽園ではありませんでした。

宮古島を熟知する地元出身者から見れば、宮古島が楽園ではないのは当然。

宮古島に来ては数年で帰っていく移住者が好意的に捉えられないのも当然です。

移住2年目に入ると、宮古島が楽園ではない理由が見えてきました。

海の色はエメラルドグリーンですが、冬のビーチには大量の漂着ゴミが流れ着きます。町中にゴミをポイ捨てしたり、不法投棄する人もいます。

台風の威力はすさまじく。台風接近のたびに命の危険を感じるレベル。台風が直撃すれば、電柱が倒れ、トラックが横転します。

台風で毎年3回は停電します。24時間以上停電することも普通にあります。

美しい海では、毎年命を落とす人がいます。私が移住してからの5年間で、宮古島では27人が水難事故で死亡しました。地元の人にとって、海は「美しい場所」である前に「危険な場所」です。

宮古島の職場環境は決してよくありません。特に観光関連のホテルや飲食関係は離職率が高いです。給料が低い割に仕事がハードで「こんなはずじゃなかった」と仕事を辞める人が後を絶ちません。

心の葛藤

都会暮らしの頃、常に偏頭痛に悩まされていた私。移住1年目は心も体も元気でしたが、2年目からは偏頭痛が戻ってきました。

気がつけば私は宮古島に「ないもの」ばかりに目を向けるようになり、不満を募らせていました。

暑すぎる。

仕事が楽しくない。

頭が痛い。

今月も給料が少ない。

生活していけるのか。

自分の存在価値って何だろう。

移住したことによって「失ったもの」、都会暮らしに「あったもの」への執着もよみがえってきました。

息苦しさに耐えて、あと5年元の職場で踏ん張っていれば、人生はもっと楽になっていたかもしれない。

仕事のサボり方を覚え、うまく息抜きをしながら、仕事で成果を出すことにやりがいを感じ、成長を感じ、充実した人生を歩めたかもしれない。

受験戦争、就職戦争、営業成績。他人を蹴落とし出てものしあがることを求める都会の価値観に一度はどっぷりつかっていた私。

宮古島には、人を蹴落としてでものし上がるという空気感はありません。みんなで助け合って、みんなで生きて行く。自分だけが良い思いをすることは許されません。

島の価値観は、すばらしいものです。しかし、自分が島の価値観にどっぷりつかることは恐怖でしかありませんでした。

島での暮らしにどっぷりつかると、都会では使えない人材になります。

都会で使えない人材になることへの不安で、私の頭の中は混乱状態に陥りました。

このまま島での暮らしを続けていていいのか?都会で使えなくなる前に、元の生活に戻った方がいいのではないか。

私の人生は「ないものねだりの旅」

地に足がついた、人間らしい暮らしを求めて宮古島に来たのに、島での生活が長くなるにつれ「宮古島にないもの」「都会にあるもの」ばかりに目がいくようになりました。

あきらめ

移住5年の今、私の今の心境は「あきらめ」。

宮古島から脱出するため、転職活動をしていた時期がありました。しかし、転職活動は全くうまくいきません。

都会での仕事を辞め、宮古島に逃げた私を都会の企業が雇いたがらないのも当然です。

都会で働き続けていたら、ステップアップで条件のいい会社に転職できたかもしれませんが、一旦宮古島に移住したことで、私はステップダウンの転職すらできなくなりました。

ないものねだりのあなたへ

人生に「ないもの」を求めているあなたへ。

「ないもの」に頭が支配されると、心の迷宮は深まるばかりです。冷静に判断することができなくなっていきます。

人生の大きな決断をする時には「ないもの」だけでなく「あるもの」のありがたさを実感することも大切です。

「ないもの」に頭が支配されて、冷静な判断ができなくなっていたら、信頼できる人に「私にあるものは何か?」と聞いてみると良いです。

自分では気づくことのできない、目からうろこの答えが返ってくるかもしれません。

悩みに悩んで、心の底から納得できる答えが出るまでは、現状維持も悪くはありません。結論を急ぐと、後で痛い目に合います。

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