「心の豊かさとは何か」
心の豊かさを求めて沖縄の離島、宮古島に移住して5年。
エメラルドグリーンの絶景の海。ゆっくりと流れる島時間。宮古島での移住生活で、私の心は豊かさを取り戻すはずだった。
しかし、現実はそんなに甘くない。決して楽ではない仕事、少ない給料、島ならではの人間関係。豊かさを手に入れるはずの島で、私の心はすさんで行く。
移住するだけで心豊かに生きて行けるほどこの島の暮らしは甘くない。それでも、この島の人たちの心はとても豊かで、心あたたまる瞬間がある。
「心の豊かさとは何か」
宮古島はバブルと表現される好景気。リゾート業者による乱開発が止まらない島で、私が見つけた心の豊かさとは。
心の豊かさを求めて
新卒で希望の業界に就職し忙しく働く日々。仕事を覚えるにつれ重くなっていく責任。学生時代にはなかった社会人ならではの人づきあい。人間関係。
会社員として働く以上、ストレスを抱えるのは仕方ないことかもしれない。
生きていくためには、お金が必要。よほどの才能や運がなければ、社会の歯車の一員として汗を流して働くしか、生きて行く方法はない。
しかし、会社と家の往復だけで過ぎて行くだけの毎日に、心に黄信号が灯りはじめる。
「このままでいいのか」
心はどんどんすさんで行く。
「このままだとだめになりそう」
中学校、高校、大学と敷かれたレールを踏み外すことなく歩んできた人生。社会人になって訪れた反抗期。
「一度きりの人生、歯車の一員のまま終わってたまるか」
私は仕事を辞め、沖縄の離島、宮古島に移住した。
甘くない現実
移住して数カ月は、それまで抱えていたストレスが嘘のように吹き飛び、頭がすっきりしていた。
ゆっくりと時計の針が進む南の島で、深呼吸するようにのんびりと時間を過ごした。
すさみきってカスカスの状態の心に、少しずつ水分が補充されていく。そんな感覚だった。
非日常の空間で少しずつ心の栄養を取り戻した。
しかし、島での仕事が本格的に始まると、私の心は再びすさんでいった。
「宮古島にはストレスなんてない」という移住者にありがちな勘違いをしていた私。
島ならではの人づきあい、お酒の飲み方、移住者への差別的な目線、少ない給料、楽ではない仕事。
宮古島のマイナス面をあげればキリがなかった
現代社会の構図
資本主義社会の日本では、心の豊かさよりも経済的な豊かさが優先される。都会であればあるほど、経済的な豊かさの比重は大きくなる。
高層マンションの最上階に住む、高級料亭で接待を受ける、プライベートジェットで旅行する。都会に住んでいると、経済的に豊かであれば、心も豊かであるような錯覚に陥る。
宮古島には、経済的な豊かさがなくても、心豊かに日々の暮らしを営んでいる人がいる。
庭の手入れをする。道端に咲く花に足を止めて愛でる。小学生の登校を見守る。困った人に自然に手を差し伸べる。
公園で小学生が小さな子に順番を譲ってくれる。仕事で訪問した家で「座って行って」とお茶やお菓子をもらう。
都会にはない心の豊かさが、この島にはある。
宮古島の人は、社会的な地位や名誉をほとんど気にしない。
芸能人であれ、社長であれ、高学歴であれ、一人の人として扱う。
毎年のように猛威をふるう台風。突き刺すような夏の日差しの強さ。本土の学校に進学したまま帰ってこない子供。
島の人たちには、抗うことができない運命を受け入れるたくましさがある。
仲間で積立てたお金を持ち逃げする人がいても、業務時間中に黙って仕事を抜ける人がいても、島の人たちは許す力を持っている。
その根底にあるのは、人間も自然の一部という考え方。
自然の成り行きに従い「なんくるないさぁ」と許してしまう島の人たちの心はとても豊かだ。
都会では通用しない
宮古島は人口5万4000人の小さな島。島の人たちはどこかでつながっている。地元出身者全員が親戚のような感覚なので、人を出し抜いたり、だましたり、蹴落としたりしようという感覚はない。
都会では他人を蹴落とさなければ経済的な豊かさは手に入らない。経済的な豊かさがなければ心の豊かさは得難い。
「心の豊かさとは何か」
その問いかけをする時、都会の人たちは自分のことしか考えていない。
「自分がこの殺伐とした現状から抜け出したい」「自分が心豊かでありたい」
「心の豊かさとは何か」という問いかけの根底にあるのは「自分を助けたい」という思いだ。
心豊かに生きている宮古島の人たちにとって、「自分」は島の一部、自然の一部でしかない。自分がないからこそ、心豊かに生きられる。ただしこの考え方は都会では通用しない。
変わりゆく島
宮古島はバブルと言われる好景気。本土企業によるリゾート開発の勢いがすさまじい。
宮古島は今、猛烈な勢いで「都会化」している。
都会化の象徴は「伊良部大橋」
橋の開通前、宮古島から伊良部島へはフェリーでしか行けなかった。橋の開通で車で自由に往来できるようになったことで、伊良部島ではリゾート開発が加速した。
宮古島と伊良部島を結ぶフェリーは島の人たちの心の豊かさの象徴だった。
「同級生が島に帰ってきているらしい」「あの家に孫が生まれた」「来週お祝いやるらしい」
フェリーは島の人たちの情報交換の場。フェリーに揺られる時間が島の人たちの絆を自然に深めていた。
「島の子供はみんなで守る」「台風の時はみんなで耐える」「みんなで喜び、みんなで悲しむ」そんな心の豊かさが、自然に育まれる場所だった。
都会化が進む島には移住者が急増している。私がそうであったように、都会から来た人たちの考え方は当然のように「自分」中心。
自分が中心である限り、いつまでたっても心の豊かさは手に入らない。
でも、都会のやり方が染みついているから、自分をないがしろにする生き方なんて、今さらできない。
自分を捨て、全てを受け入れ、許す。島の人たちの生き方は、猛烈な台風の横殴りの風にに黙って耐え続ける、島のサトウキビのようだ。
自分を捨てない限り、心の豊かさは簡単には手に入らない。宮古島に移住して5年。私もまだまだ修行中。