宮古島に移住して5年のshimagurashiです。
「世知辛い」を辞書で調べると「生活しにくい、暮らしにくい、住みにくい」「計算ずくで心にゆとりがない こせこせしている」と出てきます。
都会に比べ、宮古島はとても生活しやすい場所です。宮古島の住民は人づきあいの計算はせず、心にゆとりがあります。
都会にも、人の人情に触れる場面や、心温まるストーリーに出会うことはあります。ただし、それは家族や仲のいい友人など、心の距離の近い人たちの間で起こる出来事。都会の人間はとにかく他人に冷たいです。冷たいというか、他人に優しくしている心の余裕がないのだと感じます。
宮古島の人たちは、家族や仲のいい友人はもちろん、他人にもとても優しいです。大人も子供も、困っている人には自然に手を貸してくれます。誰とでも心の距離が近いとも言えます。
世知辛さを全く感じない宮古島。「宮古島に移住してよかった」と思えた体験談と私自身の心の変化をまとめました。
ドラッグストアの抽選会
宮古島で最大のドラッグストア、ドラッグストアモリ。月末に抽選会があります。買い物の金額に応じて抽選券を配布し、抽選券10枚で1回抽選できるというものです。
ある月末、子供に抽選をさせようと抽選券を握りしめて抽選エリアへ。小学生ぐらいの女の子がちょうど抽選をしているところでした。抽選を終えた女の子は、こちらに振り返り「これあげる」と余った抽選券を私たちにくれました。
突然の出来事にとまどい、何が起こっているのか瞬時に理解できませんでした。女の子は、抽選券を10枚以上持っていて、余った抽選券を私たちにくれたのです。
女の子が抽選券をくれたおかげで、私たちは2回抽選をすることができました。抽選では残念賞連発でしたが、心の満足度は100点満点。女の子の行動に心が温まりました。
この体験は、1度や2度ではありません。毎回のように、余った抽選券をくれる子供たちがいます。うちの子は2歳。宮古島の子供たちには、小さい子への優しさを自然に身につけています。
シャボン玉があたった女の子が、ティッシュしかあたらなかった私たちに、シャボン玉をくれたこともありました。
都会暮らしが長かった私は、小学生の女の子に、他人に優しくすることの大切さを教えてもらいました。
お菓子をくれる母親
宮古島で毎年開催される「みなとフェスタ」というイベントで、船に乗るための列に並んでいました。夏の炎天下、テントの下とはいえ30分ほど並んでいたので、暑さで体力を奪われます。
2歳の子供も頑張って列に並んでいましたが、少しバテぎみ。そんな時、列の後ろに並んでいた子連れの母親が、お菓子をくれました。
「これ食べる?」と子供にお菓子を差し出す母親。バテぎみだった子供はとてもうれしそうにお菓子を食べました。
不思議なもので、心が満たされると、体も元気になります。バテぎみだった子供も私も、お菓子をもらったことで体力まで回復してしまいました。
母親は、親戚の子にお菓子を差し出すように自然に「これ食べる?」とお菓子を差し出してくれました。
大都会東京の行列で母親が同じ行為をしたら、不審に思われるかもしれません。私もここが宮古島だから母親の行為をすんなり受け入れることができましたが、都会なら不信に思ったかもしれません。
母親の行為に感動したのはもちろん、それをすんなり受け入れられる宮古島の空気感にもありがたさを感じました。
お年玉をくれる会社の同僚
宮古島ではお正月には親戚だけでなく、近所の子にもお年玉をあげる風習があります。
年明けの仕事始めの日に「これ子供にあげて」と会社の同僚から1000円札の入ったぽち袋を頂きました。はじめは戸惑いましたが、ありがたく頂きました。
宮古島は人と人との心の距離が近く、島の子供はみんなの子供という空気感があります。子供が生まれた時や、小学校に入学した時など、各家庭で盛大にお祝いが行われます。お祝いには親戚はもちろん、親の友人、知人会社の同僚なども参加します。
都会だと、会社の同僚に子供が何人いるかは把握していても、子供の顔と名前が一致することはありません。宮古島では同僚の子供の顔と名前はもちろん、何歳でどこの学校に通っているかまでわかります。家族だけでなく、地域や職場が一緒に子供の成長を見守っている感じです。
小さい頃から、お年玉をもらったり、お菓子をもらったり、抽選券をもらったり。優しさに包まれて育った宮古島の子供たちは、素直な心を持った優しい大人になります。
移住5年の私の変化
世知辛くない宮古島のおかげで、私自身も少しずつが宮古島の人たちのような心の優しさを持つことができるようになりました。
公園では遊具で他の子にも自然に手を貸せるようになりました。お砂場では砂遊びの道具を貸してあげられるようになりました。
病院が休診の日、休診と知ってショックを受けながらも、車で駐車場に入ってくるオジーに「休みみたいです」と伝えることもできました。
他人に優しくすることで、自分自身の心も満たされることを知りました。しかし、これは宮古島だから成り立つこと。残念ながら都会では他人に優しくすることで、浮いてしまうこともあります。
宮古島からの帰省で、都会の満員電車に乗り込む時、周りの乗客の出足の早さに驚きました。宮古島暮らしが長い私は「そんなに早く乗りたいならお先にどうぞ」と構えていたのですが、そうしているうちに怒涛の勢いで人が車内になだれ込んで行きました。
都会は世知辛いと感じる一方で、都会にいる頃は自分自身もそうだったことを思い出しました。都会で生きていくには、他人への優しさなど持っている場合ではないのかもしれません。
さいごに
「世知辛い世の中が嫌になったら宮古島に移住しよう」なんて見出しをつけましたが、都会に暮らす人たちを否定したいわけでも、宮古島移住をオススメしたいわけでもありません。
成長のために競争は必要ですし、頑張った人が富を得る仕組みは正しいと思います。競争の中では、他人を蹴落とすことも時には必要です。
宮古島には世知辛さはありませんが、移住生活は決して楽ではありません。都会では感じられなかった喜びがある一方で、移住生活が長くなると都会にはない苦しさも出てきます。島から帰りたくなったことはこの5年間で何度もありました。
それでも、宮古島の人たちの心の豊かさは本当にすばらしいです。島の人たちの優しさに包まれながら日々の暮らしを営めていることは、私の人生の大きな財産です。