お金に縛られずに生きるために南の島に移住した私の転落人生

「お金に縛られずに生きたい」

誰もが一度は考えたことのあるテーマではないでしょうか。

会社と家の往復だけで毎日が過ぎ、お金を稼ぐためだけに生きているような生活をしていた私は、5年前、仕事を辞め、沖縄の離島、宮古島に移住しました。

移住先で待っていたのは、どこまでも続く青い海。のんびりと流れる島時間。私の人生は希望に満ちていました。

お金に縛られずに生きるために決断した、南の島への移住。しかし、この決断が私の転落人生の始まりでした。

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移住前の私

中流家庭に生まれ育ち、親のお金で大学に進学させてもらい、希望の職種に就職した私。人生に特に不満はありませんでした。

子供の頃から、お金が有り余って贅沢をすることもなければ、お金が足りずに途方にくれる経験もなかった私。特にお金に困ることもなく社会人になり、会社から給料をもらって生活する人生が始まりました。

新人時代は仕事を覚えるのに必死で、仕事に対する不満を感じる暇もなく働きました。疑問を抱き始めたのは入社3年目。家と会社の往復だけで過ぎて行く毎日に、このままでいいのかと疑問を抱き始めました。

会社の先輩たちは、みんな歯を食いしばって働いていました。社会の歯車になるってこんなに大変なことなのか。会社の先輩に自分の10年後、20年後を重ねた時、希望を見出せなくなりました。

先輩たちはみんな社会のストレスにまみれて生きていました。そして、そのストレスをお金を使って解消していました。

ストレスをためて稼ぐのはお金。ストレスを解消するために使うのもお金。

ストレスをためてお金を稼ぎ、お金を使ってストレスを解消することに、何の意味があるのだろうかと感じ始めました。

お金に縛られず、ストレスのない生き方がしたい。そう考えた私が思い悩んだ末に出した決断が、南の島への移住でした。

5年前、私は仕事を辞め、沖縄の離島、宮古島に移住しました。

移住生活

お金に縛られずに生きるため、20代で移住した私。移住前にまじめに働いていた反動で、仕事には比重を置かず、お金のことは気にせず、島暮らしを満喫しました。

毎週末のように海に行ってシュノーケリングを楽しみ、夕方にはビーチで夕日を眺め、晴れた夜には満点の星空を楽しむ。

想像していた通りのすばらしい移住生活が始まりました。

しかし、順風満帆な移住生活は長続きしませんでした。

仕事には比重を置かずに生きるつもりが、だんだん仕事がきつくなってきました。最初のうちは南の島特有のルーズさで、仕事ができないことも許してもらえましたが、だんだん求められることが多くなってきました。

前職と違う業種の仕事を選択したことで、移住前に社会人として私が積み上げたキャリアは全く意味のないものになりました。慣れない仕事に戸惑い、仕事を覚えるのに時間がかかりました。

前職と違い、屋外での仕事が多く、南の島の暑さでかなり体力を消耗しました。気がつくと、南の島でも私は家と会社を往復する生活を送るようになりました。

夏の暑い日は帰宅するとへとへと。外出は職場の飲み会ぐらい。職場以外の人脈をうまく広げられず、友達もできませんでした。

希望に満ちていたはずの移住生活で、私はうつ病寸前まで追い込まれました。仕事に行きたくないと心の底から思うようになりました。

移住前、きついながらもやりがいのある仕事を任してもらえていたことのありがたさに、ようやく気がつきました。

お金は大切

移住前、現実逃避の対象だった南の島は、移住したことで現実に変わりました。観光客が南の島で過ごす時間は非日常ですが、移住者にとって島暮らしは日常そのもの。

日常には不満もストレスもあります。

私を最も苦しめたのは、給料の少なさ。

移住したことで私の給料は激減しました。宮古島で30代会社員として働く私。基本給は19万円台。

「お金に縛られない生き方をする」と決意し、給料が減ることは覚悟で南の島に移住しましたが、あまりに少ない給料が大きなストレスになりました。

皮肉にも、宮古島に移住したことで、私はお金の大切さを痛感させられました。移住せず前の会社で働いていれば、今頃どれぐらい給料をもらっていただろうと思い悩むこともあります。

夫婦で宮古島に移住した私。宮古島で子供が生まれ、子育ての責任も生まれました。家族が増えると、給料の少なさは死活問題。「お金に縛られない生き方をする」なんて悠長なことは言っていられなくなります。

移住前「お金に縛られずに生きたい」と思えたのは、お金に余裕があったからです。

お金が山ほどあれば、お金に縛られずに生きることはできるかもしれません。お金がなければお金に縛られない暮らしなんて不可能です。

「給料が少なくてもいいから、お金に縛られずに生きたい」という考え方は、その発想自体が間違っています。

転落人生

20代で仕事を辞め、南の島に移住した私。

それまで敷かれたレールの上で人生を歩んでいた私は自らの意思でレールを大きく踏み外しました。

一度踏み外したレールには簡単には戻れません。残念ながら、これが日本社会の現実です。

元のレールに戻るため私は転職活動を始めました。移住前に働いていた職種を中心に、中途採用にたくさん応募しましたが、全く相手にされませんでした。あまりに相手にされないので、履歴書を書くことすらやめてしまいました。

冷静に考えれば当然です。20代で会社を辞め、南の島に移住した人間など、企業は採用したくありません。私のキャリアでは「仕事がきつくなれば、また会社を辞めて逃げるだろう」と考えられても仕方ありません。

20代の頃「お金に縛られずに生きたい」と考えていた私は、30代になってお金の大切さを痛感させられました。今、人生で大切なものは何か?と聞かれれば、「お金」と答えます。

まとめ

お金に縛られずに生きるため南の島に移住した私の転落人生についてまとめました。

お金に縛られずに生きるためには、お金が必要です。矛盾しているように見えますが、これが日本社会の現実です。

「お金に縛られない生き方がしたい。給料は少なくてもいいから自由に生きたい」という考え方は破たんします。この発想を行動に移した瞬間、転落人生が始まります。

「お金に縛られずに生きたい」と考えている皆様が、私と同じ愚かな過ちを繰り返さないよう願っています。

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