宮古島在住のshimagurashiです。
全世界に影響を与えている新型コロナウイルス。宮古島でも経済から市民生活まで広い範囲に影響が出ました。
当ブログでは宮古島のコロナの影響について何度も記事化してきました。
コロナを巡る状況は日々刻々と変化しています。過去の記事を参考にしながら、宮古島のコロナの影響を総まとめします。
序章~忍び寄る影~
宮古島で新型コロナウイルスの影響が出始めたのは2020年1月下旬~。
宮古島にはここ数年中国からの観光クルーズ船が大挙して訪れていました。
中国での新型コロナウイルス感染拡大を受け、1月下旬以降、宮古島に寄港するクルーズ船が全便キャンセルされました。
宮古島の外国人観光客の9割はクルーズ船の乗客。
クルーズ船の寄港中止で宮古島の外国人観光客は激減しました。
2月からは宮古島唯一の国際線、香港―下地島便が運休。
宮古島から外国人観光客が消えました。
外国人観光客をあてにしていた宮古島の観光業者は大打撃を受けました。
特に大きな影響を受けたのがバス業界、タクシー業界。
クルーズ船客の定番だった観光バスツアーは全て中止。宮古島の観光バス会社、宮古島バブルの波に乗って新規参入した島外・県外のバス会社にコロナの影響が直撃。
クルーズ船の乗客のバスツアーを見込んで宮古島に新規参入した島外・県外のバス会社はほとんど仕事がなくなりました。
コロナ前はクルーズ船が寄港する日に合わせて島外からバスドライバーを招いて対応するバス会社もあったほどでしたが、コロナ直撃後は駐車場に空のバスがむなしく並ぶ光景が日常になりました。
宮古島のタクシー業界もクルーズ船効果でかなり利益を上げていましたが、一気に需要がしぼみました。
2020年2月の段階では国内観光客は前年並みだったので、コロナの影響は限定的。
ホテル、レンタカー店、土産物店、飲食店への影響はまだ出ていませんでした。
第1章~島に来るな論争~
宮古島の国内観光客は2020年2月までは前年並み。
島民も観光客もマスクはせず、普通に生活していました。
3月に入ると状況が変化します。
沖縄本島で感染者が急増。宮古島でも新型コロナ感染の不安が広がりました。
市民生活にも少しずつ影響が出始めました。
市民に大きなインパクトを与えたのが、宮古島トライアスロン大会の中止。
毎年4月に開催される宮古島で最大のイベント、トライアスロン大会の中止が早々に決まったことで、市民に動揺が広がりました。
3月上旬からは全国の方針と足並みを揃えるように宮古島でも小学校・中学校・高校が臨時休校になりました。
宮古島の文化ホール「マティダ市民劇場」や各公民館のイベントはほとんどが中止になりました。
子供たちの部活動も中止。スポーツ大会も中断しました。
宮古島のドラッグストアからマスクが消えました。50枚入り5000円ぐらいの割高マスクが出回るようになりました。
3月になって巻き起こったのが、宮古島旅行していいのか論争。
ネット上のSNSを中心に、意見がぶつかりました。
3月下旬にかけて全国的に感染者数が増えるにつれ、ネット上の意見は「島に来るな」に傾いて行きました。
「島にはベッドが3床しかない」「簡単に医療崩壊する」「島のオジーオバーを守れ」
センセーショナルな文面がネット上に並びました。
実際、春休みは前年に比べれば少ないものの、宮古島に国内観光客は来ていました。
海外旅行をキャンセルして宮古島に来た人もいました。
「島に来るな」がネット上で拡散される前に「南の島は安全」という根拠のないデマが出回ったことで、宮古島・石垣島・沖縄本島は国内の他の地域に比べるとかなりの数の観光客が来ていました。
宮古島の小学校・中学校・高校の休校は春休み直前に解除され、イベントも一部再開されました。
3月下旬、石垣島で初めての感染者が確認されました。石垣島のバーでクラスターが発生。
宮古島では感染者は出ていませんでしたが、島全体が不安な空気に包まれていました。
第2章~緊急事態宣言~
4月、国内の感染者が急増し緊急事態宣言が発令されました。
緊急事態宣言は「旅行するな」の大号令。
まじめな日本人は大半が大号令に従い、宮古島からは国内観光客も姿を消しました。
宮古島の4月の観光客はわずか1万人。統計上1万人ですが実際はもっと少ないと推測されます。
前年比べると9割の大幅減。
4月の宮古島は信じられないほど静かでした。
前浜ビーチ、砂山ビーチ、東平安名崎、新城海岸、吉野海岸・・・。宮古島の観光地から観光客の姿が消えました。
普段はレンタカーで溢れているビーチの駐車場には車が一台も止まっていません。
真っ白な砂浜と、静かな波音。
4月の前浜ビーチは時が止まってしまったかのような静けさでした。
観光業は宮古島の経済の大きな柱。
観光業界は緊急事態宣言で大きな影響を受けました。
宮古島東急ホテル&リゾーツなど一部のリゾートホテルは休業を選択しました。
営業を続けたホテルも稼働率は1割程度。
市街地エリアのシティホテルには出張での宿泊が少しはありましたが、リゾートホテルは閑古鳥。
レンタカー、食堂、居酒屋、カフェ、土産物店。
コロナの影響は多方向に広がりました。
宮古島でコロナ感染者は確認されていませんでしたが、島民はコロナを恐がり、マスクを着け、換気・手洗いを徹底して暮らしました。
飲食店の大半は休業かテイクアウトに切り替えました。
飲み会が大好きな宮古島の人たちもこの時ばかりは飲み会を中止しました。
宮古島市長は記者会見で「オトーリは自粛するように」と発言しました。
島の小さな店舗は持続化給付金でコロナ禍を乗り越えようとしました。
コロナの影響でこの時期に廃業した店はほとんどありませんでした。
持続化給付金の200万円でコロナ禍に耐え、夏に希望を託しました。
規模の小さい店舗の中には「200万円もらえてラッキー。逆にウハウハだ」というところも一部ありました。
大手ホテルは持続化給付金の200万円ではとてもコロナ禍を乗り越えられません。
宮古島ではリゾートホテルから従業員の解雇が始まりました。
ホテルで働くパート・アルバイト従業員が真っ先に職を失い、雇い止めは契約社員・正社員へと広がっていきました。
コロナ解雇はホテル業に留まらず、他業種でもコロナで職を失った人がいました。
コロナの影響は日常生活にも広がりました。
宮古島でも人の動きが止まり。島民は病院に行くのをためらうようになりました。
宮古島のおじーおばーは病院が社交場のようになっていて、病気がなくても病院に行きたがる人も少なくありませんが、緊急事態宣言時は病院から人が消えました。
第2章~ゴールデンウィーク6万人~
ゴールデンウィークを前に「航空会社の沖縄便予約が6万人」との情報が独り歩きしました。
宮古島でもゴールデンウィークを前に緊張感が高まりました。
宮古島市は観光客に渡航自粛を求めました。
ビーチや観光施設の駐車場・トイレシャワー施設を全て閉鎖し、観光に来ても楽しめないことをアピール。
ダイビングやシュノーケリングなどのマリンレジャー業者は大半が休業しました。
ふたをあけてみると、ゴールデンウィークの宮古島の観光客はほぼゼロでした。
5月の宮古島の観光客は5千人。4月よりもさらに少なくなりました。
統計上5千人ですが、宮古島で暮らしている感覚からすると5月の観光客は限りなくゼロに近いです。
これまでにない、静かなゴールデンウィーク。
島民もステイホームを守り、ゴールデンウィークはほとんど出歩きませんでした。
公園・図書館・公民館などの公共施設は全て閉鎖されました。
宮古島で感染者が出ていないのに、小中学校は休校、部活もできない、公園でも遊べない。
東京から3000キロ、沖縄本島から300キロ離れた離島、宮古島。
島民は島にコロナが入って来ないことを願いながら、静かに暮らしました。
第3章~希望の光~
沖縄ではコロナ第一波は比較的早く収まりました。
5月以降は新規感染者ゼロが続きました。
宮古島市は6月に観光客の渡航自粛要請を解除。
観光客受け入れに舵を切りました。
4月・5月は宮古島発着の飛行機の多くが運休しました。県外からの直行便は全て運休しました。
6月に入り、飛行機の便数が徐々に回復。羽田・関西・中部空港からの直行便も運航再開しました。
宮古島第2の空港下地島空港は緊急事態宣言で全便運休していましたが、6月からターミナルが運営再開。成田・関西からのジェットスター便が復活しました。
沖縄県では6月から7月にかけて、県民向けの観光促進キャンペーン「沖縄彩発見キャンペーン」が行われました。
県内旅行の半額が助成される「彩発見キャンペーン」で県民の旅行需要が一時的に高まりました。
キャンペーンを使って沖縄本島から宮古島に旅行に来る人、宮古島から沖縄本島に旅行に行く人が見られました。
6月末までは3列シートの飛行機は真ん中の座席を開けての運航でしたが、7月には全隻提供に戻りました。
空港に人が戻り、県外からの観光客も徐々に増えて行きました。
6月・7月と宮古島でも観光客はゆるやかに回復していました。
稼ぎ時のゴールデンウィークを逃した宮古島の観光業者は、夏に期待を託していました。
コロナ禍で海外のビーチリゾートには行けない2020年、夏。コロナが収束すれば、宮古島の観光需要は大きく回復する・・・はずでした。
第4章~夏の衝撃~
7月。コロナの影響は宮古島島民の誰も想像していなかったような事態に発展しました。
7月中旬から沖縄本島でコロナ感染者が急増。
宮古島には「いつ入ってきてもおかしくない」という緊張感が広がりました。
7月の宮古島は前年に比べれば観光客は少ないものの、6月に比べればかなり回復しました。
ビーチにはパラソルが並び、マリンレジャーも盛況。7月23日からの4連休では多くの観光客が島に遊びに来ました。
毎日、コロナ感染者の発表があるたびに「今日もゼロだった」と島の人たちは胸をなでおろしました。
4連休明けの7月27日。宮古島で1人目のコロナ感染者が出ました。
20代、女性、医療関係者。
島に衝撃が走りました。宮古島唯一の指定感染症医療機関、宮古病院の医療関係者がコロナに感染しました。
冷静に考えれば、7月末まで宮古島で1人もコロナ感染者が出なかったのはただの奇跡でした。
コロナが国内に入ってきて以降、増減はありましたが、常に島外からの人の出入りはありました。
個人的には「来るべくしてきた」「もっと早く出てもおかしくなかった」という感覚。
同時に「1人目が観光客じゃなかった」ことへの驚きと落胆がありました。
「1人目はどうせ観光客だ」という島民の大方の見方は見事に外れました。
1人目の女性の感染場所が病院でないこと、院内感染がなかったことで、島民の動揺は少し収まりました。
1人目の感染者を批判するような空気感は島には全くありません。
もはや誰が感染してもおかしくない状況。
感染者が1人出たことの衝撃を受け止めきるよりも早く、2人目、3人目の感染者が報告されました。
7月31日、2人目の感染確認。
8月1日、新たに3~5人目の感染確認。
8月3日、新たに15人の感染確認。
キャバクラ「美月」でクラスターが発生。8月3日に感染確認された人の大半は美月の関係者でした。
小さな島の空気は一瞬で変わります。
8月に入ると、島民は再び、誰に要請されるわけでもなく、自主的にステイホームを続けました。
8月には沖縄県が独自の緊急事態宣言を発表。
人口10万人あたりの感染者数は東京を上回り、沖縄が連日全国トップでした。
宮古島市は経済と感染症対策を両立させるスタンス。
感染者が急増しても、4月のように観光客に渡航自粛を求めることはありませんでした。
8月12日、宮古島でコロナに感染した高齢の女性が亡くなりました。
島全体が喪に服すような空気の中、社会は泊まりません。
子供たちは学校に行き、親は仕事に行きます。
高齢の家族と同居する人たちはかなり気を使いながら毎日の生活を続けました。
社会が動いている以上、社会の一員として歯車を回すしかありません。離島でもそれは同じです。
宮古島のコロナ感染者のピークは8月上旬。
9月に入ると宮古島での感染者は落ちつきました。
今後再び宮古島絵感染者が増えるのか、コロナの影響が広がるのか。誰にもわかりません。
9月中旬からは島外との人の往来が増えています。
島の人たちは感染予防を徹底し、必死に毎日を生きています。
観光業者は日々刻々と変わる状況に心を乱されながら、笑顔で観光客を迎えています。
<つづく>