沖縄移住者が避けては通れない「ナイチャー」という言葉と差別的な扱い。
差別される本当の理由と乗り越える方法を宮古島移住10年なりに書いてみました。
ナイチャーを差別する理由
移住10年になった今、私がようやく少し乗り越えることができたかなと思うのが「ナイチャー」という言葉
沖縄県民は本土出身者をナイチャーと言います。
ナイチャーを過剰に避けたり区別する人もいて、行き過ぎると差別っぽくなります。
宮古島は最近、観光客が増えて移住者も増えているので、島に移住者がいるのが普通になりつつありますが、10年ぐらい前までは、移住者はかなり希少でした。
小学校のクラスに1人移住者がいるかいないかぐらいなので先生も保護者も「ナイチャーの子」とレッテルを貼ったりしていました。
子供が仲間外れにされたり、いじめられたりというほどではありませんが、明確に区別はされます。
子供同士はナイチャーかどうかは関係なく仲良くしていますが、親のコミュニティーには入りにくかったりもします。
宮古島は今でこそ観光業が盛んになって活気が出てきましたが、長年、農業が中心の経済的に豊かとはいえない島でした。
移住者は「なんでわざわざこんな島に来たのか」「内地で犯罪して逃げてきたんじゃないか」という目線で見られるところがあります。
60代以上の沖縄の人は名刺交換の時に「あんたはナイチャーだね」と言ってきたりします。
ナイチャーと言われていい気分はしません。
私も移住当初は苦手でした。
「ナイチャー」と言われると「あなたは島に必要ない人間です。帰ってください」と言われてる気がして、落ち込むこともありました。
沖縄の人たちの中にはナイチャーをひとまとめにして批判するのではなく、一人ひとりと向き合って、信頼関係を築こうとしてくれる人もいますが、基本的には、ナイチャーとつるむよりは島の人たち同士でつるんでいた方が安心という考えです。
島の血を受け継いできた人たちだけのコミュニティーで何十年も生活してきた人たちが、外から来た人を警戒するのは仕方ないことかもしれません。
沖縄の人たちは「ナイチャー」と積極的に関わろうとはしませんが、素性は知りたがります。
仲良くなりたいから素性を知りたがるのではなく、島に害を与える人間かどうかを判断するために素性を知りたがります。
「あんたはナイチャーだね」と直接聞いてくる人もいれば「どこから来たの?」「故郷は何県?」「親はどこに住んでるの?」「結婚してるの?」「子どもは?」などと聞いてきます。
差別を乗り越える方法
私は最初のうちはナイチャー差別に困惑していましたが、今ではどうでもよくなりつつあります。
島で長く暮らしているうちに、たいていのことはどうでもよくなってきました。
細かいことに気を病んだり、こだわったり、ストレスをためていてはこの島で生きるのは大変です。
ある種の鈍感力みたいな、なんくるないさーと受け流す力が必要です。
私がこの島で長く生きるために身につけたのは、受け流す力。
忘れ物をしても、雨にぬれても、約束を忘れても、少しのことならどうでもいいやと思えるようになりました。
内地の価値観では「劣化した」になるのかもしれませんが、島の価値観になじんできたんだと思います。
ナイチャーはいつまでたってもナイチャーです。
移住して10年たっても、名字をみて「ナイチャーだね」と言ってくる人はいます。
私の場合、10年で日焼けして少しは沖縄の人のような見た目になりつつあるので、以前のような排他的な「ナイチャーだね」は少なくなりましたが、それでも言われます。
ナイチャーはいつまでたってもナイチャーですが、沖縄に長く住んでいるナイチャーは、沖縄の人のような風貌になり、ものの考え方も似てきます。
移住者したてのナイチャーは天国に引っ越してきたようなテンションで浮足立っていて、見た目も雰囲気も言葉遣いも「ザ・ナイチャー」という感じですが、長くいると話し方とか、所作とか、雰囲気とか、なんとなく島の人に似てきます。
都市伝説みたいな話ですが、沖縄に長くいると鼻の穴が大きくなる気がします。
沖縄の人たちは遺伝なのか鼻が大きい人が多く、鼻の穴も大きいのですが、移住者も不思議なもので、島の暮らしが長くなると鼻の穴がふくらんできます。
人によるかもしれませんが、私は膨らんできました。
気候によるものか、湿度が高いからか、理由はよくわかりませんが、1年目のナイチャーと10年目のナイチャーでは鼻の大きさが違う気がします。
少しずつ島の人の価値観とか見た目に近づいてくると、ナイチャー差別は受けにくくなります。
ナイチャーというひとくくりではなく、木村さん、佐藤さん、田中さんというように、一人の人間として接してもらえるようになります。
沖縄に移住して最初のうちは、ナイチャーという言葉や差別的な扱いに落ち込むこともあると思いますが、それは誰もが通る道。
ナイチャーと言われるからと言ってあなた自身が批判されているのではなく、ナイチャーというカテゴリーをひとくくりにして距離を取ろうとしているだけなのです。
移住当初は「ナイチャー」と言ってくる島の人たちに好感は持てませんでしたが、移住10年の今では、島の内部と外部を区別しようとする気持ちは理解できます。
最近は宮古島の乱開発が進んで、古き良き宮古島らしさが失われていってます。
ナイチャーに対する距離感があったからこそ守られてきたものが、大量の内地企業やナイチャーによって崩されている感覚は、10年目ナイチャーの私も感じていて、あまりいい気分ではありません。
乱開発が進んでしまっているので、ホテルも飲食店もレンタカーも観光産業は新規参入の障壁がかなり低くなっていますが、島の人へのリスペクトがない移住者はどこかでつまずきます。
ナイチャーと言われても、徹底的に下から目線で島の人たちと付き合うぐらいの覚悟がある人の方が、島暮らしはうまくいきます。
島暮らしの一番の敵は、プライドかもしれません。
ナイチャー差別が嫌なあなたへ
移住10年でいろんなタイプの移住者と接してきたのですが、「ナイチャー」という言葉に過剰に嫌悪感を抱く人には共通点があります。
それは、その人自身が「内と外をわけたがる」ということ。
「家族の前では何でもさらけだすけど、友達とは一定の壁を作る人」「距離感を急に縮めてくる相手が苦手な人」「人に心を開くのに時間がかかる人」とかが当てはまります。
自分自身が心の底で無意識に自分の内側に入ってきていい人と絶対に入れたくない人を区別している人ほど、相手から排他的な扱いを受けると嫌悪感を抱きます。
内と外にしっかりと境界線を作る人ほど、他人から境界線を引かれてその外側にカテゴライズされると嫌なものです。
そういう人はゆっくりと時間をかけて人間関係を築くタイプなので、最初のうちは移住生活に苦労しがちですが、意外と島の人たちとの波長はあっていたりします。
沖縄の人たちもナイチャーに対して簡単に心を開かないので、お互いに少しずつ信頼を積み重ねていって、心の距離を縮めていくスピード感は島の人たちと似ていたりします。
心がオープンで誰とでも仲良くなれるタイプの人は、島に溶け込むのが速いと思われがちですが、そうとも限りません。
表面上は島でのつながりが広がっても、仲のいい人の数が増える分だけ嫌われる数も増えたりします。
沖縄移住や宮古島移住には心がオープンな関西人が向いている説がありますが、これは半分はあっていて、半分は外れています。
簡単には心を開かない人の方が、慎重に、ゆっくりと島での人脈を広げて、島になじんでいくので、島暮らしに向いているかもしれません。
移住者はみんな、自分なりのやり方で、島に根差そうと努力して生きています。
ナイチャーという言葉や差別的な扱いは、最初のうちは抵抗がありますが、その裏にある真意がわかれば、怖くはありません。

