宮古島移住者のshimagurashiです。
宮古島で5年以上暮らし、これからも宮古島に住み続ける予定です。
実際に宮古島に移住してみると、島での暮らしには移住前には想像できなかった壁や困難があります。
宮古島移住って実際どうなの?生活・仕事・お金のリアルを解説します。
宮古島移住って実際どうなの?生活編
宮古島の家賃、物価、住み心地・・・
宮古島の移住生活ってどんな感じなんでしょうか?
不便に感じることは?
宮古島の生活で不便を感じることは全くありません。里帰りに時間とお金がかかるのがデメリットですが、市街地エリアに住めば普段生活する分には全く不便はありません。
スーパー、ドラッグストア、コンビニ、郵便局など、生活に必要なものは、全て車で5分圏内にあります。車が少なく移動が楽な分、都会よりも生活しやすいぐらいです。
市街地エリアにはサンエー、マックスバリュ、かねひで、ドンキホーテなど複数のスーパーがあります。
都会のスーパーと品ぞろえは変わりません。北海道産のじゃがいももフィリピン産のバナナもあります。沖縄そばの麺や豚肉のソーキなど、沖縄ならではの食品も多く扱っています。
マックスバリュの宅配サービスも便利です。スマホで自宅から商品を注文し、宅配してもらえます。3千円以上買えば送料無料です。
宮古島で調達できないものはネット通販で簡単に手に入ります。
宮古島移住者はamazon利用率がとても高いです。
マットレスや布団など、宮古島で買えないものは、ネット通販で購入しています。
移住者は島のどこに住んでいる?
宮古島移住者の居住地は、市街地エリアと郊外エリアの2つに分けられます。
市街地エリアは、平良港と宮古空港の間の半径2キロほどのエリア。小学校の学区だと、久松小、南小、平良第一小、北小、東小があるエリアです。
宮古島の人口の約7割は、市街地エリアに住んでいます。
移住者に特に人気なのは伊良部大橋に近い久松学区。島の中心部に近く、海が近くて住環境が良いです。久松学区のアパートの家賃は他のエリアより高いです。
市街地エリアの外側に広がるのが郊外エリアです。池間島、来間島、伊良部島などの離島、与那覇前浜に近い旧下地町、宮古空港に近い旧上野村など、郊外エリアに住んでいる移住者もいます。
郊外エリアは地域によって様々な特色があります。30世帯ぐらいの小さい集落もあれば、1000世帯ぐらいの大きな集落もあります。
郊外エリアは宮古島の中でも「田舎」。宮古島では郊外エリアから市街地エリアへの人口流出が止まらず、郊外エリアでは人口減と少子高齢化が加速しています。
郊外エリアでの移住生活は市街地エリアに比べかなり難易度が高いです。
市街地エリアでは移住者は珍しくありません。移住者ばかりが暮らすアパートもあります。郊外エリアには移住者が少ないので、地元の人に警戒されます。
郊外エリアはライフラインが弱く、台風が来るとすぐに停電し、復旧に時間がかかります。
車は必要?
宮古島移住生活に車は必要です。これだけは断言できます。
車なしでバイクや自転車だけで頑張ろうとする移住者もいますが1年で挫折します。
宮古島は島の一番高いところでも標高が115mですが、生活してみると実は坂道が多いことに気が付きます。
平良港から宮古空港に行くだけでも30メートルは登らなくてはなりません。
夏の日差しの強さは尋常ではありません。エアコン付きの車は必須です。ゲリラ豪雨のようなスコールもあります。徒歩移動は雨に打たれるリスクがあります。
宮古島で自転車に乗るのは中学生・高校生ぐらい。歩いている人はほとんどいません。100メートルの距離でも車移動です。
移住生活が長くなるほど、歩かなくなります。
海に近い宮古島では車のトラブルがとても多いです。
車はすぐにサビます。海の近くに住めば住むほど、車がサビやすくなります。
20年乗れるはずの車が、塩害にやられて10年でダメになることもあります。
宮古島の人たちは車への塩害を少しでも減らすため、台風通過後すぐに洗車します。
電気・水道・ガスのトラブルは?
宮古島の電気は沖縄電力が供給しています。島内に火力発電所があります。
宮古島は台風のたびに停電します。島の中でも田舎ほどすぐに停電し、復旧に時間がかかります。
市街地エリアの私が住むアパートも毎年台風のたびに停電します。
停電は早ければ数時間で復旧しますが、長い時には丸1日以上停電します。停電時にはインターネットも使えなくなります。インターネットの復旧は停電以上に時間がかかります。
停電に伴って断水することもあります。
宮古島のアパートは、屋上に貯水タンクが設置されている場合が多いです。停電すると貯水タンクに水をくみ上げられなくなります。貯水タンクが空になると断水します。
アパートの大きさの割に貯水タンクの容量が小さいと、すぐに断水します。我が家も何回か断水しました。
宮古島の水道水は、軟水ではなく硬水。水道水はぬるく、おいしくありません。
水道水をそのまま飲む人もいますが、子育て世帯はウォーターサーバーを設置しています。
シャワーも硬水です。硬水のシャワーでは髪の毛はサラサラにはなりません。シャワー後の髪はゴアゴアしています。
ガスはプロパンガスが主流です。お湯が出なくなるなどのトラブルも結構あります。ガス会社を呼べばすぐに来てくれます。
家賃はいくら?
市街地エリアの我が家は3DKで家賃6万円。家賃相場の範囲内です。
宮古島の家賃相場は単身タイプの1DKで3~4万円台。家族向けの3DKで5~6万円台です。
宮古島バブルのピーク時には新築アパートの家賃が高騰し、1Kで10万円。コンテハナウスで9万円など、信じられない高さの家賃設定が目立ちました。
一部の物件は、宮古島バブルで家賃が極端に値上がりしましたが、宮古島の大半のアパートは家賃相場の範囲内です。
宮古島バブルのピークは2019年の夏。以降は徐々に下がっています。
物価は高い?
宮古島は離島なので物価は高いです。
食料品は全体的に高いです。特に肉、野菜、乳製品、卵が高いです。
ティシュペーパーや洗剤など、日用品も安くありません。
家電はヤマダ電機、ベスト電器、ドンキホーテで買えますが、安くありません。
島内で買うと高く、ネット通販で買うと送料が高くつきます。「全国送料無料」と書かれていても、離島だけは送料がかかるケースもよくあります。
移住生活は楽しい?
移住1年目の生活は手放しで「楽しい」と言えるすばらしいものでした。
週末にシュノーケリングを楽しんだり、星空を見に行ったり、宮古そばの店を巡ったり。
都会ではできない体験をたくさんしました。毎週末どこかに出かけて楽しんでいました。
移住5年の今も生活は楽しいですが、それと同じぐらい大変さもあります。
子育て世代の私は、宮古島でも毎日忙しく働き、家事、育児に追われています。
生きて行くためには、お金を稼がなくてはいけません。「働かざるもの食うべからず」は全世界共通のルール。宮古島でもこのルールからは逃れられません。
お金に余裕のある定年退職組の移住者は悠々自適にのんびりと宮古島暮らしを楽しんでいますが、働き盛り世代だと「楽しい」だけでは宮古島では生きていけなくなります。
宮古島移住って実際どうなの?仕事編
南国の楽園のイメージがある宮古島ですが、仕事のきつさや給料の少なさを理由に帰っていく移住者も少なくありません。
人気の仕事や給料、仕事のストレス・・・
宮古島移住物の仕事事情って実際どうなんでしょうか?
移住者に人気の仕事は?
宮古島で移住者の割合が多い業種はホテルやマリンレジャー、飲食店などの観光関連業。介護職や医療関係の仕事も移住者が多いです。
ホテル
宮古島最大のリゾート企業「南西楽園リゾート」は従業員の9割が移住者。その他のホテルも従業員の半分以上は移住者です。
宮古島のホテル業界は極端な人手不足で就職しやすく、移住者に人気ですが、軽い気持ちで働き始めると痛い目に合います。時間が不規則で休みがとりにくく、立ち仕事が多くて身体的にもきついです。
マリンレジャー
マリンレジャー業は不安定です。一年を通して安定して人を雇えるところは限られています。夏は仕事がありますが、冬は別の仕事を探さなくてはなりません。
よほど海が好きなら耐えられますが、夏の強烈な日差しの中での仕事はかなりハードです。
真っ黒に日焼けし、肌がボロボロになります。紫外線を浴びると肌が老化します。宮古島の海の家のスタッフは紫外線の影響で老け顔の人が多いです。
マリンレジャーは移住者に人気の仕事ですが、長続きする人は少ないです。
介護・看護
宮古島には介護士・看護師が不足しています。介護や看護の仕事は移住者が入り込む余地があります。ホテル業と同様に時間が不規則で休みがとりにくく、楽な仕事ではありません。
看護師は資格が必要ですが、介護士は資格がなくても始められます。移住をきっかけに介護士として働き始める人もいます。
島の優良企業はどこ?
宮古島出身者に一番人気の就職先は宮古島市役所です。
毎年行われている公務員採用試験の倍率はかなり高く、狭き門です。難関の試験を突破して市役所で働く移住者は勝ち組と言えます。
一昔前まではコネ採用が多く、移住者は市役所に採用されませんでした。最近ではチラホラ見かけるようになりました。
宮古島で優良企業とされる大手建設会社や製糖工場などは、従業員の大半が地元出身者。移住者はよほど仕事ができるか、特殊な資格を持っていない限り相手にはされません。
アルバイトで食べていける?
「せっかく宮古島に移住するなら会社員は嫌だ」「宮古島に移住してまで組織のルールに縛られたくない」「会社員として働くなら宮古島で生活する意味がない」
私もはじめはそう考えていました。
しかし、アルバイトで生きていくのは簡単ではありません。
宮古島で長く移住生活を続けている人の大半は、会社員として働いています。アルバイトから始めた人も、移住3年以内には長く続けられる仕事を見つけています。
単身移住者ならアルバイトで食いつなぎながら余暇で宮古島ライフを満喫できますが、家族を養うのは無理です。
宮古島の人たちは、島のために働く移住者は歓迎しますが、フラフラしている移住者は嫌いです。
良くも悪くも、宮古島は地元出身者が強い島。宮古島では移住者は「よそ者」です。
定職について一生懸命働けば、地元の人たちとの人脈も広がりますが、いつまでもフラフラしている移住者は冷たい視線を向けられ続けます。
フリーランスの仕事場としてはどう?
フリーランスで稼ぐ力がある人には、宮古島は良い環境です。
パソコン1つで仕事ができるスキルがあれば、宮古島で無理に人脈を広げる必要もありません。
宮古島での生活が長くなると、暑すぎる夏や台風のすさまじさ、島民のルーズさなど、島の悪いところが目につきはじめます。
フリーランスなら宮古島に飽きれば別の場所に引っ越せばいいだけの話です。
フリーランスの移住者は1年~3年で宮古島を去る場合が多いです。数カ月だけ滞在するようなプチ移住者もいます。
フリーランスの移住者は、移住期間が長くなるにつれ、孤独を感じるようになります。島で人脈を広げるためには自分から動かなければなりません。
フリーランスの仕事にインターネットは欠かせませんが、宮古島では台風の度に仕事ができなくなります。
ひどい台風の時には24時間以上停電が続きます。停電が復旧しても、インターネットがつながるまでにはさらに時間がかかります。
カフェ経営はうまくいく?
「宮古島に移住して、悠々自適にカフェでも経営しながらのんびり生活したい」
宮古島移住者にありがちな発想です。私も宮古島でのカフェ経営を空想していた時期がありました。
移住者の中には、カフェ経営で生計を立てている人もいますが、うまくいくのは一握りです。
自営業や飲食店経営の経験者が宮古島で開業するならまだしも、何の知識もなくゼロからのカフェ経営はかなりレベルが高いです。
宮古島では人気のカフェに観光客が集中しています。新規参入は簡単ではありません。
農業で働くには?
移住者の仕事の中で一番ハードルが高いのが農業です。
宮古島にはサトウキビ畑がたくさんありますが、サトウキビでは稼げません。専業のサトウキビ農家はいません。ほとんどが兼業農家です。
宮古島で農業で稼ぐなら、マンゴーやゴーヤ、ピーマン、いんげん、かぼちゃなどを育てなくてはなりませんが、かなり難しいです。
宮古島は日照時間や土の質、害虫の種類が本土とは違います。本土の農業のノウハウは全く通用しません。宮古島独自の台風対策も学ぶ必要があります。
ノウハウは地元の人から学ぶしかありませんが、簡単には教えてくれません。
最初から自分の畑を持って、作物を育てて成功する移住者はいません。
宮古島の農家に弟子入りし、一生懸命働きながら、少しずつノウハウを学ぶのが近道です。
移住者を受け入れる農家は少なく、よほど真剣に働かなければ相手にしてもらえません。
宮古島に縁もゆかりもない移住者が農業で成功するのはかなり難しいです。挫折して帰っていく移住者も後を絶ちません。
農業同様、漁業もかなり大変です。
会社員は大変?
宮古島でお金を稼ぐ一番現実的な方法は、会社員として働く方法です。
移住生活が長続きしている人は、正社員や契約社員として働いています。
宮古島の会社員は楽ではありません。
休みが少ないです。宮古島には週休2日の職場はほとんどありません。日曜日は休みでも、土曜日は仕事の職場が多いです。
給料はかなり少ないです。沖縄県の給与水準は全国平均の3分の2。宮古島はさらに下回ります。30代会社員の私の給料は10万円台です。
宮古島の仕事探し|正社員・アルバイト・建設作業員のリアルな給料は?
ストレスなく働ける?
私は宮古島に移住すればストレスなく働けると思い込んでいましたが、そんなに甘くはありませんでした。宮古島の仕事にもストレスはあります。
給料・休日
給料の少なさ、休みの少なさは仕事のストレス源です。
プライドの高い人は耐えられなくなります。
給与明細を見るたびに、あまりの給料の少なさに、自分が社会から必要とされていないように感じます。
暑すぎる
観光で数日滞在するなら宮古島の暑さも大歓迎ですが、働き始めると暑さは大敵です。
外での仕事はかなりハードです。宮古島の日差しの強さは殺人的。数分外にいるだけでクラクラする暑さです。
子供の頃からこの環境で育った島の人たちは暑さに強いですが、移住者には耐えがたく外での仕事は大きなストレスになります。
人間関係
移住者の多くがストレスを感じるのが職場での人間関係。
宮古島の人たちは多くを語らないので、職場で空気を読むのが大変です。
お酒の席でストレスを感じる移住者もいます。
宮古島の人たちにとってお酒は重要なコミュニケーションツール。
職場で認められるにはお酒の席にも積極的に顔を出すことが求められます。
何時間も会議をしても結論が出なかったことが、お酒の席でまとまることもあります。
宮古島は小さな職場が多いので、毎日同じ人と顔を合わせることになります。職場の人との相性が良ければラッキーですが、相性が悪ければ地獄です。
通勤
宮古島には通勤のストレスが全くありません。
宮古島で働く一番のメリットは、通勤が楽なこと。
宮古島では車通勤が主流。小さな島なので、通勤時間は10分以内です。
島の人たちはお昼休みには自宅に帰ってお昼ごはんを食べます。昼休みに自宅に帰れるほど、家と職場が近いです。
移住5年の私は通勤が楽なことのありがたみを忘れつつあります。都会の満員電車にはもう一生乗れない体になってしまいました。
宮古島での移住生活がうまくいくかどうかは仕事の選択次第。
仕事は宮古島で人脈を広げるきっかけになります。
縁もゆかりもない宮古島での移住生活。暮らしを豊かにしてくれるのは、人との交流です。
宮古島では移住者は「よそ者」。仕事場でもはじめは「よそ者」です。「よそ者」が仲間に入れてもらうためにはそれなりの努力をしなければなりません。
会社のために働き、同僚のために働き、島に貢献することで、少しずつ仲間として受け入れてもらえるようになります。
島の人たちの働き方、仕事のスタンスを理解しようという気持ちがなければ、移住生活はうまくいきません。
移住者は仕事ができると思われがちなので、多くの仕事を振られたり押しつけられたりすることもあります。
ほとんど仕事をせず定時で帰る島の人を横目に、残業を余儀なくされる移住者もいます。
島の人たちは移住者を差別しているつもりはありませんが、移住者が不公平を感じることはあります。
私は宮古島の人たちの働き方になじめず、職場で大きなストレスを感じ、うつ病寸前の状態になりました。
宮古島に移住してうつ病になるなんて、移住前は信じられませんでしたが、これが現実です。
仕事のコツ
宮古島の職場でうまくやっていくコツは、適度に空気を読まないことです。
移住者が職場で認められるためには、空気を読むことが求められます。空気を読み、職場で求められていることを察知し、先回りして行動することで、仕事がうまく回ります。
ただし、これをやりすぎると、仕事は増える一方になります。
仕事ができる人だと一度思われると、エンドレスに仕事が降ってきます。
空気を読まないと相手にされませんが、空気を読み過ぎると自分がつぶれてしまいます。
移住者が宮古島の職場でうまくやっていくのは簡単ではありません。
宮古島移住って実際どうなの?お金編
宮古島移住の大きなハードルの一つがお金の問題。
引っ越し資金、移住後の収入、生活費はいくら?貯金はいくらあればいい?
宮古島移住のお金の疑問に答えます。
貯金はいくら必要?
移住後の仕事が決まっているなら、最低限貯金として必要なのは、引っ越し資金、住居の契約費、宮古島への渡航費+α。100万円あれば安心です。
移住後に仕事を探すパターンだと、200万円ぐらいあった方がいいです。
移住前は「貯金がいくらあれば宮古島に移住できるか」と考えがちですが、宮古島移住者の私の実感としては、移住前の貯金額はどうでもいいです。
あまりに貯金が少ない場合は別として、100万円以上蓄えがあるなら、貯金の少なさを理由に移住を諦めるのはもったいないです。
貯金額よりも、移住後の仕事の選択のほうがよほど大事です。
どんなに貯金があっても、移住後アルバイトで食いつなぐような甘い考えでは移住生活は破たんします。
逆に貯金が少なくても、移住後定職についてまじめに働き、生活費を抑える努力ができるなら、お金が原因で移住に失敗することはありません。
移住の初期費用
引っ越しの荷物の量や、家賃、家族の人数、車を輸送するかどうかによって移住の初期費用は変わります。
夫婦2人で移住した私の初期費用は約50万円。
荷物と車の引っ越し代を合わせて約20万円。
アパートの契費用で約25万円。
宮古島への渡航費に5万円です。
離島への移住は引っ越し代が高いです。安く抑えるコツは徹底的な断捨離。特に大型家電は現地で購入したほうが得です。
意外と高額だったのがアパートの契約時に必要なお金。
我が家は家賃6万円ですが、敷金、礼金、仲介手数料、火災保険などで、総額25万円にまで膨れ上がりました。
給料はやっぱり少ない?
宮古島の給料はかなり少ないです。沖縄県の給料水準は全国平均の3分の2。宮古島はさらに下回ります。
移住1年目の給料は月額16万円前後です。
安いところだと月給14万円。20万円もらえればかなりいい方です。
ホテル業界の経験者や介護の有資格者は中途採用扱いで高い給料をもらえることもありますが、宮古島には基本的に中途採用という概念がありません。
どんなに社会経験があっても、1年目の給料は地元出身の新卒採用者と変わりません。
昇給額も少ないです。30代会社員の私の手取りは毎月15万円。給料が少なくても税金はしっかり取られます。手取り額の少なさに愕然とします。
宮古島出身者の半数以上は、高校卒業後島を出たまま帰ってきません。一番の理由は宮古島には仕事がなく、給料が少ないから。
移住者にとって宮古島はとても魅力的な場所ですが、給料の少なさを考えれば宮古島の人たちが「なんでこんな何もない島にわざわざ移住するかね」と言うのも当然です。
生活費はいくら?
宮古島の物価は全体的にやや高め。
離島への輸送費がプラスされるので、食材、日用品、ガソリン代など、日常生活に必要なものが高いです。
家賃も安くありません。宮古島バブルの時期には「1K10万円」などとんでもない家賃設定が目立ちました。
元々の家賃相場も決して安くありません。宮古島の家賃相場は1Kで3~4万円台。3DKで5~6万円台。地方都市の福岡と同じぐらいの相場です。
我が家は家賃6万円。食費、日用品、ガソリン代、携帯電話代、インターネット代、電気代、ガス代、水道代を合わせれば、毎月の支出は20万円を超えます。
移住後1000万円貯めた人
私の移住者の知り合いの中で、移住後一番お金を貯めたのは、移住10年で1000万円を貯めた男性。
会社員として毎月少ない給料をもらいながら、生活費をとことん抑えて、毎年100万円を貯め、貯金1000万円を達成しました。
単身移住者だからこそできたことですが、貯金1000万と聞いてかなり励みになりました。
宮古島でお金を貯めるなら、収入を増やすという発想ではうまくいきません。貯金のためにはとにかく支出を減らすことです。
私は洋服も買いたいし、オシャレもしたいし、毎月美容室にも行きたい。カフェでのランチも宮古そば屋巡りも居酒屋巡りも大好きです。
私のようなタイプだとお金はたまりません。
お金に余裕があれば宮古島での移住生活はとても楽しいです。
お金に余裕がない大半の移住者は、移住生活を楽しもうと思えば思うほど、給料の少なさに頭を悩ませるというジレンマに陥ります。
子育てにかかるお金は?
内閣府の調査では、子育てにかかる年間のお金は未就学児が約104万円、小学生が約115万円。中学生が156万円。
宮古島でも子育てにはお金がかかります。小中学校の給食費全額補助など、宮古島ならではの子育て支援策もありますが、給料の少なさを補えるほどではありません。
子供が生まれるまでは夫婦で外食をしたり、好きな洋服を買ったりしっていても、子供が生まれて家計が苦しくなり、自由な暮らしが全くできなくなる移住者もいます。
単身移住や夫婦での移住だと、お金の問題はそこまでシビアではありませんが、子育て世代だと給料の少なさは死活問題。
子育て世代が宮古島に移住するなら相当な覚悟が必要です。
宮古島では共働きは当たり前。宮古島に専業主婦はほとんどいません。
縁もゆかりもない宮古島で移住者が共働きで子供を育てるのは、相当ハードです。
想定外の出費
宮古島に移住してから気が付きましたが、移住者の一番の高額出費は帰省費用。
家族の人数が多ければ多いほど帰省にお金がかかります。
4人家族なら、一度の帰省で安くても8万円はかかります。
計画通り帰省出来るなら費用を計算できますが、家族に不幸があった場合などは帰省費用が跳ね上がります。
移住1年目に家族の不幸で急に実家に帰ることになった私たち夫婦。一度の帰省で20万円が飛びました。
高額な帰省費用は、移住前には気づきにくい移住者の落とし穴です。
持ち家か賃貸か
宮古島に移住するならいつかは一軒家に住みたいと考えるのは自然な発想です。
私も移住前は一軒家での暮らしを空想していましたが、移住後5年間アパートに暮らしを続けています。
いきなり家を買って移住するのはリスクが高いです。
移住前は海の近くの家に住みたいと考えていましたが、実際に生活してみると海の近くは台風被害が大きく、潮風で車や自転車がすぐに錆びることがわかります。今では海の近くに住みたいとは全く思いません。
宮古島は同じ市街地エリアでも移住者が多かったり、オジーオバーが多かったりと、地域ごとに特徴があります。
移住後3年ぐらいしてやっと、地域の特徴が見えてきます。
はじめから持ち家にこだわるのではなく、賃貸からはじめて、宮古島のことをじっくり知ってからでも家を買うのは遅くありません。
実際に宮古島で暮らし、収入と支出のバランスを考えた上で、身の丈に合った家に住むのが現実的です。
お金の大切さ
「人生にはお金より大切なものがある」「都会で高い給料をもらうより、宮古島で最低限の賃金をもらって生活した方が幸せだ」
宮古島移住前の私はお金に縛られない生き方をしたいと強く願っていました。
宮古島に移住することで給料が少なくなったとしても、何物にも代えがたい豊かな暮らしが手に入ると思い込んでいました。
移住5年の今、当時の考えは幻想だったと気が付きました。
豊かな暮らしにはお金が必要です。
お金の心配ばかりしているようでは、どんなに魅力的な土地で暮らしていても、心は落ち着きません。
お金に縛られずに生きたいと願って宮古島に移住した私は、宮古島でお金の大切さを痛感させられました。
給料が少ない宮古島でも、移住生活を成り立たせることは可能です。
贅沢をせず、節約し、宮古島で生活できることのありがたさをかみしめながら、慎ましく生きる。これが移住者の基本です。
宝くじがあたった人や、貯金に余裕のある定年退職組の移住なら話は別ですが、働き盛り世代が宮古島に移住するなら、どこかで必ずお金の壁にぶつかります。
欲深い人、新しいもの好きな人、買い物好きな人は宮古島移住には向いていません。
宮古島に残る移住者は、慎ましく生きることのありがたさを実感できる人たちです。
宮古島移住って時際どうなの?人間関係編
移住前に気づきにくい移住後の大きな問題の1つが移住先での人間関係。
宮古島移住がうまくいくどうかは人脈の広がり次第です。人間関係に失敗すれば移住生活は破たんします。
人とのつながり
人は1人では生きていけません。
収入が高く、豪邸に住んだとしても、孤独な人生は豊かとは言えません。
人間関係が嫌で宮古島に移住した人も、移住後、宮古島で新たな人間関係を構築しなければなりません。
大半の移住者は、島に人脈がない状態で宮古島に移住します。
宮古島での暮らしが豊かになるかどうかは島での人脈の広がり次第。
宮古島でうまく人脈を築き、島暮らしを一緒に楽しめる仲間ができれば、移住生活はより充実したものになります。
宮古島で人間関係の輪をうまく広げられなかったり、島の人の文句ばかり言ってる人は、移住生活が長続きしません。
人脈の広げ方
宮古島に住んでいる人は「地元出身者」と「移住者」に分けられます。
宮古島は石垣島に比べると移住者が少ない島。地元出身者が8~9割。移住者は多く見積もっても1割程度。沖縄本島や本土から転勤で来ている人を含めても、全人口の2割に達しません。
宮古島で人間関係を広げる一番のきっかけになるのは仕事。
移住者が多い職場なら、移住者同士の人脈が広がり、地元出身者が多い職場なら地元出身者との人脈が広がります。
ホテルや居酒屋、マリンレジャー業など観光関連の仕事は、移住者が多いです。キャバクラなど夜のお店で働く女性はほぼ全員移住者です。
市役所、建設会社、電気会社、運送業、バス会社・タクシー会社は地元出身者が大半。スーパーやコンビニ、ドラッグストアなどのアルバイトも地元出身者が多いです。
宮古島で人手不足が顕著な介護士や看護師、保育士の仕事は移住者と地元出身者が半々ぐらいです。
移住者にとって仕事は、お金を稼ぐツールになるだけでなく、人脈を広げるきっかけになります。島でどんな人間関係を広げたいかによって仕事を選ぶのも1つの方法です。
移住者ネットワーク
宮古島では移住者の増加に伴って、移住者のコミュニティーが生まれ始めています。
オススメはボランティアへの参加。
宮古島に犬猫保護施設を作り、保健所で殺処分される犬や猫を救う活動をしている「宮古島セーブザアニマルズ」では多くの移住者がボランティアをしています。
全国放送の番組「志村動物園」で定期的に特集され注目度が高まっていて、セーブザアニマルズでのアルバイトを目的に期間限定で移住する女性もいます。
宮古島の海で毎月ゴミ拾い活動をする「宮古の海をきれいにし隊」でも多くの移住者がボランティアをしています。
ボランティアに汗を流すうちに、移住者同士意気投合し、友達が増えていくパターンは、宮古島移住あるあるです。
三線教室などの習い事も人脈を広げるきっかけになります。
三線教室の先生は地元のおじさん、おばさん。生徒は移住者もいれば地元の人もいます。教室によって、地元の女性が多かったり、子供が多く通っていたりします。
地元出身者との人脈
地元出身者との人脈は仕事以外ではなかなか広がりにくいです。
宮古島の人たちは、移住者と積極的に関わろうとはしません。
移住者はどうしても「よそ者」扱いされてしまいます。
宮古島の人たちは地元の絆が異常なほど強いです。定期的に同級生グループで飲み会をしたり、オジーオバーが集ってお茶会をしていたり、ママ友同士で集まって交流したり。
移住者がこの輪の中に入っていくのはなかなかハードルが高いです。
特に「都会っぽい雰囲気の人」は敬遠されます。宮古島は良くも悪くも田舎。宮古島に住む人たちは田舎者のプライドを持っています。オシャレな人、観光客っぽい服装の人は「恐い」と警戒されます。
地元の人の警戒を解きたいなら、宮古島の人のように、飾り気なく、おおらかに暮らすことです。計算高い人、打算的な人、裏表がある人は宮古島の人とは打ち解けにくいです。
ご近所づきあい
地元出身者は近所に移住者が引っ越してきても積極的に関わろうとしません。
「どうせまた何年かしたら帰る」と静観します。実際数年で帰る移住者は多いです。
宮古島の中でも田舎のエリアだと移住者は特に警戒されます。
私は市街地エリアのアパート暮らし。移住者と地元出身者が半々ぐらいのアパートです。
移住当初から顔を合わせれば普通に挨拶を交わしますが、それ以上の深い付き合いはありません。
宮古島は狭い島なので、アパートの住民がどこでどんな仕事をしているのかわかります。駐車場に職場の車が止まっていたり、仕事中に顔を合わせたりすることで自然に住民の仕事場が判明します。
アパートの他の部屋にどんな人が住んでいるかわかることは安心感につながります。都会のマンションにはない安心感があります。
夜のお店の女性たちや、建設作業員の寮になっている部屋、中国人が住んでいる部屋もあります。
アパートの一室が寮や外国人の部屋だとなんとなく不安に感じます。
私たちが外国人の部屋を敬遠するように、宮古島の人は移住者の部屋を敬遠します。
宮古島の人たちの移住者への抵抗は、想像以上に根深いです。
移住者の中には、利益を上げることだけを考えて島を乱開発する人もいます。島の人から見た移住者の印象は決してよくありません。
「どこでどんな仕事をしているか」「島のためになる移住者か」がわかれば、宮古島の人たちは少しずつ移住者に心を開いてくれます。
お酒の付き合い
宮古島で人脈を広げる上で外せないのが「お酒」
宮古島の人たちはお酒を通したコミュニケーションを重視します。
特に男性はシャイな人が多く、お酒が入らないとなかなか本音で話してくれません。
宮古島では仕事ができるかどうかよりも、酒の席での振る舞いが重視されます。
オトーリという独特の酒の飲み方で泡盛を回し飲みし、記憶がなくなって朝まで道路に「路上寝」する人も少なくありません。
たくさん飲むように強要するような荒い飲み方をする人は限られますが、酒の席ではそれなりに空気を読むことが求められます。
酒の席でも打算的にふるまってはいけません。島の人たちが心を開いてくれようとしているなら、移住者も本音で語る覚悟で飲むべきです。
宮古島の人たちは裏表のある人、計算高そうな人は信頼しません。郷に入れば郷に従え。仲間に入れてほしければ、宮古島のやり方、お酒の飲み方にどっぷりつかるべきです。
お酒を介さずに人脈を広げる方法もありますが、お酒を介することで、島でのディープな人間関係が広がりやすくなります。
子供がつなぐ人脈
宮古島で子育て中の我が家。
子供が広げてくれる人脈は貴重です。
子育て支援センターや保育園など、子供がきっかけで横のつながりができることによって、ママ友の交流の輪が広がっていきます。
オジーオバーや親戚など子育てで頼れる人がたくさんいる地元出身者と違い、移住者の子育ては孤独。特に子供が小さいうちは息が詰まります。
子育て世代だと、ママ友との関係をうまく築けるかも重要な要素です。
宮古島には子育て支援センターが3ヶ所、保育所は10ヶ所以上あります。
宮古島は子供が多く、とても子育てしやすい環境。島の人たちは子供が大好きです。
島のおじさんたちは見た目は恐いですが、小さい子供を連れているとニコニコと微笑みかけてくれます。
子育て世代の地元の人たちは50代以上の世代の人たちに比べ移住者に寛容です。地元出身の若い世代と子育てを通じて仲良くなれば移住生活は充実します。
良好な人間関係を築くコツ
5年間の宮古島暮らしの中では良いことも悪いこともありました。
人間関係で悩むことも少なくありません。特に宮古島の職場は規模が小さく、毎日同じメンバーと働くので、相性が悪い人が職場にいると、なかなか大変です。
人間関係を良好にするコツは、宮古島の人のように暮らすこと、気にしすぎないことです。
島の人たちは、よくケンカをします。本人たちはケンカをしていないつもりでも、移住者が見るとケンカです。
でも、すぐに仲直りします。
激しく口論した10分後には、仲良く子供の話をしていたりします。
移住者の私はこの感覚になじむのに時間がかかりました。
移住5年の今、宮古島の人たちのように生きることが、この島で良好な人間関係を築くコツだと気が付きました。
「深入りしない」「でしゃばらない」「許す心を持つ」
島の人たちのように穏やかな気持ちで暮らすことで、全てを受け入れられるようになります。
島の良いところも悪いところも、島の人たちの苦手な部分も全て受け入れようという気持ちで生きると、不思議とディープな関係が築けるものです。
宮古島移住って実際どうなの?食事編
東京から2000キロ離れた沖縄の離島、宮古島。本土とは食文化も違います。
移住者の食生活はどんな感じ?食費は高い?オススメのお店は?
宮古島移住者の食事事情をまとめました。
食で移住失敗?
宮古島移住前、インターネットで宮古島移住ブログを読みあさっていた頃、気になった文章がありました。
「食文化が合わずに移住に失敗する人がいる」
宮古島の食文化って、本土とそんなに違うの?と戦々恐々としていた私ですが、移住5年の今、本音で言うなら「食文化が合わずに移住失敗」などあり得ません。
「食が合わずに移住生活が嫌になった」などと言っている人は、はじめから移住をナメてかかっています。
宮古島の食文化が本土と違うのは事実ですが、今の時代、離島であってもスーパーに行けばほとんどの食材は揃います。
アメリカ産の豚バラ肉も、北海道産のじゃがいももあります。カップラーメンやレトルト食品の品ぞろえも、都会のスーパーと変わりません。
こだわりの食材がある場合は別ですが、普通に自炊して食事する分には、全く困りません。
移住前に家で作っていた食事に必要な食材は宮古島のスーパーで全て揃います。
移住後外食ばかりしていれば、食文化の違いを感じることもあるかもしれません。食文化が合わなければ、自分で作ればいいのです。
和食も、中華も、洋食も、自炊なら何でも作れます。
「食文化が合わずに宮古島が嫌になった」という人は、生活力が著しく不足しています。
自炊すらできない人が、離島で生きて行くなど、考えが甘すぎます。
宮古島は経済的に豊かな島ではありません。移住者の稼ぎは少なく、移住をきっかけに給料は確実に減ります。少ない給料をやりくりしながら食費を節約してたくましく生きて行く。これが移住者の基本的なスタイルです。
宮古島に移住して「のんびりしたい」という考えはアリですが「贅沢な暮らしがしたい」という発想は間違っています。
食費は高い?
宮古島の物価は決して安くありません。離島なので食材も全体的に高めです。
特に肉が高いです。沖縄は豚肉中心の食文化。宮古島のスーパーにも豚のブロック肉がたくさんあります。
豚バラ肉は海外産もありますが100g130円ほど。決して安くはありません。牛肉はかなり高いです。
鶏肉はブラジル産の100g80円などもありますが、それほど安くはありません。
肉、魚は全体的に賞味期限が短いです。輸送時間を考えれば仕方ないですが、翌日が賞味期限の豚肉や牛肉が、普通に定価で陳列されています。
乳製品も高いです。牛乳は税込みだと1ガロン260円。沖縄では1リットルではなく、1ガロンで牛乳は販売されます。1ガロンは946mlなので1リットルより少ないです。
牛乳は高いので低脂肪乳や豆乳を買うことも多くなりました。
夏は特に野菜が高いです。宮古島産の葉野菜は冬が収穫の時期。夏は地元産の野菜がありません。スーパーには県外産の野菜が並びますがかなり高いです。
白菜、キャベツ、ほうれんそう、小松菜、全て高いです。白菜2分の1カットで250円。庶民には手が出ません。
お昼ごはん
島の人たちは自宅に帰宅してお昼ごはんを食べます。これ、宮古島あるあるです。
自宅と職場の距離が近いからこそできることなのですが、わずか1時間のお昼休みの間に帰宅して昼食を食べます。
朝ごはんの残りを食べたり、子供の弁当の残りを食べたり、お弁当を買ってきて食べたり。
10分で帰宅し、40分家でご飯を食べて休み、10分で会社に戻ります。
宮古島市役所の職員もお昼ごはんは家で食べる人が多いです。
お昼12時になると、市役所の正面玄関から市役所職員が大量に出てきます。今では見慣れましたが移住当初はとても不思議な光景でした。
移住者で会社員の私も、お昼ご飯は家で食べています。今ではお昼休みに弁当屋でお弁当を買って家で食べるスタイルが定着しました。
お昼休みに夕食の準備をしたり、洗い物をしたり、短い時間ですが家に帰れることは大きなメリットです。
宮古島は通り雨が多く、洗濯ものがびしょぬれになることがあります。お昼休みに濡れた洗濯物を取り込んだことも何度もありました。
子供がいる家庭では、お昼休みは夫婦2人で過ごせる貴重な時間です。我が家は朝も夜も育児に追われて夫婦の会話はありませんが、お昼は会話があります。
弁当が安い
宮古島は弁当屋のお弁当がとても安いです。
お昼に弁当を買って家で食べる人が多いので、宮古島には弁当屋がたくさんあります。
宮古島の弁当は基本的に大盛。値段は300円~450円。
人気の弁当屋の弁当はボリューム満点でおいしく、300円で満腹になります。
赤字経営では?と心配になるほど宮古島のお弁当は安いです。
2015年頃、宮古島に全国チェーンのほっともっとが進出しました。ほっともっとも人気ですが、地元の弁当屋の方が安いです。
都会で暮らしていた頃は、お昼ご飯代を節約するためにほっともっとのお弁当を買っていましたが、移住後は地元の弁当屋より高いので行かなくなりました。
ホテルランチ
宮古島移住者の密かな楽しみはホテルでランチを食べること。
アトールエメラルドや宮古島東急ホテル、シギラリゾートなど、観光客に人気のホテルでのランチタイムは至福の時です。
観光客価格なので決して安くはありませんが、たまに贅沢をしてリゾートホテルで食べるランチは格別です。
宮古島に移住してから旅行はできなくなりましたが、ホテルランチの時間だけは旅行気分を味わえます。
予算は1人2000円~。地元のおばさまたちも、たまにホテルランチを楽しんでいたりします。
海の幸
四方を海に囲まれた宮古島。宮古島に来たなら海の幸を楽しみたいところですが、実は沖縄の魚はそれほどおいしくありません。
私の実感だけでなく、地元の人も、移住者も、宮古島の魚はおいしくないと言います。
理由は、魚がぶよぶよしているから。
宮古島周辺は海水温が高く、魚がぶよぶよしています。海水が冷たい地域の魚は、身が引き締まっていてとてもおいしいのですが、宮古島の魚はその真逆。
高級魚を刺身で頂いても、なんだかぶよぶよしています。
宮古島の人は寿司が好きです。宮古島には寿司屋がいくつもあります。お祝いの席には必ず寿司が並びます。
寿司屋には宮古島産の魚の寿司も一部ありますが、ウナギやアナゴ、ヒラメ、タイ、サバ、いくら、うになどは県外産です。
宮古島の魚はぶよぶよしていますが、てんぷらにするとおいしいです。宮古島にはてんぷら屋がいくつもあります。
島の人たちはお菓子感覚で魚やイカ、野菜のてんぷらを買って食べます。
宮古島移住って実際どうなの?海遊び編
宮古島の最大の魅力は美しい海。
移住5年の今でも海に見飽きることは全くありません。
移住生活はいいことばかりではありませんが、海に癒されパワーをもらって人間らしく生きています。
海を満喫
宮古島の海は最高に美しいです。
観光で来ていた時には気づきませんでしたが、宮古島のビーチは訪れる時間帯や天気によって様々な表情を見せてくれます。
東洋一の美しさと言われる与那覇前浜ビーチ。
夏のピーク時はパラソルが並び、バナナボートやジェットスキーを楽しむ観光客が多いですが、真夏でも朝はとても静か。
早朝の前浜にはほとんど人がいません。穏やかな波音を聞きながら波打ち際を散歩する時間は移住者の至福の時です。
前浜はサンセットも魅力。旅行者は宮古島の滞在日数が限られるので、きれいな夕日に出会えるかは運次第ですが、移住者はいつでも夕日を見に行けます。
天気がよく、水平線の近くに雲がない日は絶好のコンディション。夕方に思い立って前浜に車を走らせ、サンセットを楽しめるのも移住者の特権です。
宮古島の夕日の美しさは水平線に沈むまんまるの太陽だけではありません。
条件が良い日は夕焼けがとても美しいです。太陽が沈んだ後、茜色に染まる空。オレンジ、赤、ピンク、紫。空はまるでパレット。オレンジや赤の夕焼けは本土でも見ましたが、淡いピンク色や明るく発光しているような紫色の空は、宮古島で初めて出会いました。
「いつでも、思い立ったらすぐに海遊びができる」
近くに海があることは宮古島移住者の大きな喜びです。
新城海岸
移住1年目。シュノーケリングにはまりました。
毎週のように通っていたのは新城海岸。
駐車場が広く、無料のトイレシャワー施設も充実しています。
シュノーケルを持参すれば、ビーチエントリーでシュノーケリングを楽しめます。
波打ち際のギリギリのところからサンゴ礁が広がり、浅瀬では箱メガネでも魚がたくさん見えます。
小学生の子供でもライフジャケットをつければ大満足できるシュノーケリングスポット。
ビーチから10メートルほどのところに、カクレクマノミが住んでいるスポットがあり、簡単に見つけられます。
サンゴ礁が豊かで魚の種類が豊富。海岸全体が湾になっていて外洋と内海がしっかりわかれているので、波が穏やかなビーチ。海遊びにピッタリの場所です。
水深によって海のコンディションが違い、見える魚も違うので、何度行っても飽きません。移住1年目の私は、毎週末夢中になって魚たちを追いかけていました。
気がつくと2時間ぐらい泳ぎ続けていたこともあります。
新城海岸での海遊びは、時間の経過を忘れてしまうほど魅力的です。
穴場ビーチ
ガイドブックに載らない穴場のビーチを探すのも移住者の楽しみ。
日数が決まっている旅行だと穴場ビーチまでは足が伸びません。
旅行なら前浜、砂山ビーチ、新城海岸、イムギャーマリンガーデンなど、メジャーな海を回るだけでも大満足できますが、移住者の特権は穴場ビーチ探し。
宮古島の南海岸や来間島の海岸線沿いなど宮古諸島には穴場ビーチがたくさんあります。
「サトウキビ畑の間のあぜ道を進んで行くと無人ビーチを発見!」
誰もいない海を見つけた時の喜びは格別です。
今では多くの人が訪れるようになった下地島の17endも、私が移住した頃は誰もいない海でした。
伊良部大橋が開通する2015年まで、伊良部島・下地島にはフェリーでしか行けませんでした。
干潮時に幻のビーチが現れ、海が7色に輝く17end。
伊良部大橋開通前には、今からは想像もできないほど人がいませんでした。
フェリーで伊良部島に行って、誰もいない17endでのんびり佇み、波音を聞く。17endがにぎやかになった今では想像できないような贅沢な時間でした。
移住者にとっては島での生活そのものが大冒険ですが、穴場ビーチを探す小さな冒険も楽しいです。
17endに行こう!車両通行止めで魅力アップ「幻のビーチ」へ
多彩な海遊び
宮古島の海遊びは多彩です。
旅行者として宮古島に来ていた頃は、シュノーケリングと体験ダイビングぐらいしかしていなかった私。
宮古島に移住したことで、海遊びメニューの多彩さを知りました。
海を疾走するジェットスキー。のんびりマイペースで楽しむカヤック。海上散歩が楽しめるサップなど。宮古島の海遊びはとても多彩です。
宮古島の海では自力でもシュノーケリングを楽しめますが、ツアーに参加すればさらに魅力的な海に出会えます。
特にオススメなのは八重干瀬シュノーケリングツアー。広大なサンゴ礁は日本屈指のシュノーケリングスポット。サンゴ礁も魚たちもとても生き生きしていて見ごたえ十分です。
宮古島の海遊びは「アソビュー」や「アクティビティジャパン」などマリンレジャー予約サイトの口コミが参考になります。
シュノーケリング、ダイビング、サップ、カヤック。どの海遊びも多くのツアーが企画されています。口コミを横並びで比較できる「アソビュー」「アクティビティジャパン」はとても便利です。
夕日と星空
宮古島の海は夕日と星空も魅力的です。
特に晴れた日に真っ暗な海で見る星空の美しさは圧巻です。
宮古島は島全体が星空スポット。明るい市街地エリアやホテル密集エリアは星が見えにくいですが、車を5分走らせて周辺に民家や外灯がない場所に行けば満点の星空が見えます。
夏の快晴の日には天の川もバッチリ見えます。運が良ければ水平線沿いに南十字星も見えます。
本土では冬に見えるオリオン座が夏に見えたりします。
天の川を初めて見た時の感動は今でも忘れられません。
宮古島の星空は、真っ暗闇にちりばめられた宝石のような輝き。天の川には宝石が密集していて、まばゆい光を発しています。
宮古島は平らな島なので、空を360度見渡すことができます。
ビーチに寝そべって夜空を見渡せば、360度見渡す限りの暗闇に映画館のスクリーンのように星空が浮かび上がります。
プラネタリウムのように、どの方向を見ても星が見えます。プラネタリウムの星空とはスケール感が全く違います。
宮古島の星空は何度見ても見飽きません、1時間も2時間も夜空を見上げていても見飽きません。
本土の星空スポットは山奥にあり、星がきれいに見える冬は寒さに凍えながら天体観測をしますが、宮古島は暖かいのでTシャツ短パンでビーチに寝そべって星空を楽しめます。
星空スポットを探してドライブするのも移住生活の楽しみです。
子供の海遊び
宮古島の海で子供が遊べるのも移住者の特権です。
東洋一美しい与那覇前浜や砂山ビーチにお砂場セットを持って行って波打ち際で砂遊びをする。
宮古島に移住すればこんな子育てもできてしまいます。観光客を横目にちょっぴり優越感を抱けます。
3歳の娘は海での砂遊びが大好き。砂と海水で夢中になって遊びます。
子供が生まれてからは市街地から近いパイナガマビーチに行くことが多くなりました。
市民憩いのパイナガマビーチ。ウォーキングしたり、泳いだり、子供を遊ばせたり。パイナガマビーチには平和な島時間が流れています。
宮古島で生まれ育ったうちの子は、海の色はエメラルドグリーンだと思い込んでいます。
宮古島で暮らしていると、普段の生活の中で目に入るものが美しいです。
都会では「ビル」「電車」「人ゴミ」が見えます。宮古島で見えるのは「海」「サトウキビ畑」「夕日」「星空」です。
この景色を見ていると島の子供たちが心豊かに育つのも理解できます。
移住生活と海遊び
宮古島の海遊びはとても魅力的です。
シュノーケリング、ダイビングなどアクティブに楽しむもよし、のんびりビーチを散歩するもよし、何もせず海をぼーっと眺めながらたそがれるもよし。
宮古島の海は疲れた心と体を癒し、パワーを充電させてくれます。
ところが・・・
宮古島に移住して5年。私はほとんど海に行かなくなりました。
移住年数が長くなるにつれ、海に行く機会は減りました。
今でも宮古島の海は大好きですし、見るたびに感動します。でも、いつでも行けるという安心感からか、海に行くことはなくなりました。
友人が宮古島に来た時にはお気に入りの海を案内して一緒にシュノーケリングを楽しむ程度です。
ブログで使う写真を撮りに行ったり、子供を海で砂遊びさせたりするために行くことはありますが、海に入ったり泳いだりはしなくなりました。
「海に行かなくなる」は宮古島移住あるあるです。
移住年数が長くなるにつれ、宮古島移住者は海に行かなくなります。
ダイビングが好きで移住した人も、10年経てばほとんど海にはいかなくなります。
信じられないかもしれませんが、これが島暮らしの現実です。
宮古島の地元民はほとんど海にいきません。地元の人からすると海はあたりまえにあるもので、命を奪うものです。
宮古島の夏はとても暑く紫外線が強いです。
「宮古島の海に行く!」と聞いて、観光客の胸はトキメキますが、地元民の反応は「こんな暑い日に海に行って大変」といったところ。
ベテラン移住者は、地元民のような感覚で生きています。「こんな暑い日にわざわざ海に行かなくてもいいのに」という感覚で生きています。
海に行くのは毎年4月の前浜の海開きイベントの時ぐらいです。
宮古島は紫外線が強すぎて肌がボロボロになります。特にビーチからの照り返しがある海の紫外線は猛烈な強さです。
宮古島の海の家のスタッフはみんな肌がボロボロ。海の家で働く移住者は多いですが、紫外線の強さに耐えられず辞めていきます。長年海の家で働き続けている人はみんな老けて見えます。
宮古島移住がうまく行く人は地元民のように生きられる人。郷に入れば郷に従えができる人です。移住生活が長い人は、地元民のように、海とはあまり関わらずに暮らしています。
宮古島移住って実際どうなの?旅行編
宮古島移住者には旅行好きの人が多いです。私も旅行で来ていた宮古島が気に入り移住したタイプ。
旅行好きの移住者の中には宮古島に移住してからも沖縄の離島を巡ったり、海外旅行に出かけたりして楽しんでいる人がいます。
旅行好きの移住者
5年前に宮古島に移住した私。
沖縄が好きで何度か旅行に来ているうちに、宮古島の魅力にとりつかれました。
俗に言う「宮古病」というやつです。
宮古島から帰っても宮古島のことが忘れられない。ふとした瞬間に宮古島の風景がフラッシュバックする。
最初のうちは旅の思い出の余韻に浸っているだけでしたが、日がたつにつれて宮古島への思いがどんどん膨らみ、移住したいと思い始めました。
実際に移住する人は一部ですが、宮古島に旅行した人なら誰でも一度は「移住したい」と考えるのではないでしょうか。宮古島はそれほど魅力的な土地です。
この世のものとは思えない美しい輝きの海。どこまでも続く水平線。時間の経過を忘れさせてくれる夕日。圧倒的な星空。
宮古島の風景は一度見たら忘れられません。
沖縄料理や宮古そば、島で出会ったオジーオバーの笑顔、島の人たちとの触れ合い。島の日常を感じられることは旅行者の大きな喜びです。
「この島に住みたい」
思い立ってから移住するまでは1年弱。仕事、住む場所、将来設計、お金の問題、引っ越し、クリアするべき課題は多かったですが「宮古病」にとりつかれたエネルギーで乗り越え、宮古島に移住しました。
移住は旅行の延長
移住1年目は旅行の延長。
宮古島を旅行している気分で最高に楽しい1年を過ごせました。
旅行だと2泊3日、3泊4日などと日数が限られ、行けるスポットも限られますが、移住してしまえばいつでも好きな場所に行けます。
家から近いパイナガマビーチで海を眺めながらのんびりお昼ご飯を食べたり、読書をしたり。誰もいない無人ビーチを探す旅に出たり。週末のたびにシュノーケリングに出かけたり。
思う存分非日常の毎日を満喫しました。
ビーチではしゃぐ旅行客を横目に見ながら「私は宮古島に住んでいる。いつでもここに来れる」と優越感を感じ、それだけで心が満たされていました。
宮古そばの名店めぐりも、観光客が知らないローカルな居酒屋に行くことも、大きな楽しみでした。
移住1年目「どこかに旅行したい」とは全く思いませんでした。宮古島の移住生活そのものが人生の大旅行。
宮古島は橋でつながる離島が多く、離島に行くだけでも十分旅行気分を味わえました。
昔ながらの集落と漁港が残る池間島。オシャレなカフェが集いサトウキビ畑が広がる来間島。30年前の日本を思わせるような豊かな時間が流れる伊良部島。
宮古島の離島はそれぞれに特徴があって、移住者の私を楽しませてくれました。
移住3年の壁
宮古島には「移住3年の壁」という言葉があります。
多くの移住者は3年以内に壁にぶつかります。実際宮古島移住者の半数は3年以内に島から出て行きます。
3年もいれば宮古島の良いところばかりでなく、悪いところも目につきはじめます。
生活そのものに飽きてくる時期でもあります。
旅行好きが高じて宮古島に移住した私。最初の1年は旅行者気分で移住生活を満喫できましたが、2年目以降は楽しいことばかりではありません。
宮古島の海の美しさは何度見ても見飽きることはありません。ビーチに行くたびに心が洗われパワーを充電できます。でも、海に行く回数は移住生活が長くなるにつれ少なくなりました。
宮古島での仕事も忙しくなり、旅行気分で島内を巡れる時間も少なくなりました。
宮古島での生活に慣れることで、新たな刺激を求めたいという気持ちが芽生えてきました。
「宮古病」の人から見たらとても贅沢な悩みですが、私は宮古島に移住しておきながら「どこかに旅行したい」「現実逃避に出かけたい」と思うようになりました。
国内旅行
沖縄本島からさらに300キロ離れた宮古島。
宮古島旅行は沖縄本島の旅行以上にアクセスが悪くお金がかかります。同様に宮古島からどこかに旅行するのもアクセスが悪くお金がかかります。
宮古島に移住すると給料が少なくなり、お金の余裕がなくなります。
宮古島に移住して5年。私が5年間で旅行したのは石垣島だけ。帰省のため本土に帰ることはありますが、県外旅行に出かける余裕はありません。
宮古島で暮らしていると実家への帰省だけでかなりお金がかかります。計画通り帰省できればいいですが、家族の不幸などで突然帰る時の飛行機代は目玉が飛び出るほど高いです。
宮古島に直行便が飛んでいるのは羽田、関空、神戸、セントレア。旅行に行くなら朝イチに出かけて旅先での時間を少しでも長く確保したいですが、宮古島への直行便は大都市から宮古島に来る旅行者に合わせて時間が設定されているので、宮古島から出かける場合はとても不便。
JALの宮古島発羽田行きは午後7時初、午後10時着。宮古島から東京に出かける場合はかなり不便です。
宮古島の人たちは毎月1回の飲み仲間の集まり「もあい」でお金を貯め、旅行していたりします。
同級生や職場の同僚、ママ友仲間と「もあい」をやっている人は多く、旅行を目的に積み立てをしている人たちもいます。
「もあい」旅行では旅先でもお酒を飲むのがメインになりがちですが、それでも十分楽しいです。
余談ですが宮古島の小学生の修学旅行先は沖縄本島です。平和祈念館や首里城を訪れて沖縄の歴史や戦争について学びます。
宮古島の中学生の修学旅行先は九州です。関西に行く学校もあります。九州では福岡や熊本を巡って、福岡ドームを見たり阿蘇山に行ったりします。
宮古島に移住してからも「旅行したい」という気持ちが抑えられないタイプの人は移住には向いていません。
旅行者気分が抜けてからが移住成功と失敗の分かれ道。宮古島の日常の中に喜びを見いだせれば、移住生活は長続きします。
宮古島での暮らしにどっぷりつかるようになれば、石垣島や沖縄本島に行くだけでかなり旅行気分を味わえます。
宮古島から見れば那覇は大都会。国際通りのキラキラした感じは宮古島にはありません。宮古島にはないオシャレなお店もたくさんあります。モノレール、高速道路、水族館も宮古島にはありません。
石垣島旅行もオススメです。石垣島と宮古島は似て非なる島。石垣島は山が多く美しい海に加えてダイナミックな地形が楽しめます。街の作りにゆとりがあり、洗練されていてとてもきれいです。宮古島の繁華街は東南アジアのような雑多な雰囲気。石垣島はハワイやグアムのようなオシャレな雰囲気です。
海外旅行
宮古島で暮らしていると海外旅行にはなかなか行けません。
宮古島にはパスポートを持っていない人が結構います。パスポートはあるけれど有効期間が切れて何年も放置しているパターンも多いです。
2019年に宮古島第2の空港、下地島空港に国際線旅客ターミナルが完成し、国際線の定期便が就航するようになりました。
下地島空港には香港エクスプレスの香港からの便が週3回来ます。
香港エクスプレスの就航で宮古島からの海外旅行はかなり身近になりました。香港までは飛行機で約3時間。香港エクスプレスは格安なので旅費総額3万円もあれば宮古島から香港旅行を楽しめます。
香港以外の海外へは宮古島から直接は行けません。台湾や中国など東アジアの国々へは那覇空港経由で、ハワイやグアム、欧米へは関西空港か成田空港を経由しなければなりません。
宮古島からだと関空や成田への移動だけでも大変です。関東や関西から海外旅行に行く場合に比べ、移動日が前後にさらに1日多く必要になります。
宮古島旅行のコツ
宮古島に友達が来た時に、詳しく案内してあげられることは移住者の喜びです。
「シュノーケリングがしたい」「きれいな海が見たい」「絶景をドライブしたい」「民謡居酒屋に行きたい」など、旅行者のリクエストには全て応えられます。
シュノーケリングなら新城海岸。子連れなら波がほとんどないイムギャーマリンガーデン。
きれいな海を見るなら前浜は鉄板。砂山ビーチ、17end、池間大橋も見て損はしない。前浜、砂山ビーチは午前中が特にきれい。
絶景ドライブなら伊良部大橋と、宮古島の南海岸。東平安名埼もオススメ。
民謡居酒屋は広い順にぶんみゃー、うさぎや、和音、美ら美ら・・・
実際に住んでいるからこそわかる情報で旅行者をアテンドできます。
宮古島に安く行く方法にはかなり詳しくなりました。
宮古島旅行は飛行機とホテルがセットになったツアー旅行が安いです。オプションでレンタカーをつければこれだけで旅の手配はOK。
ツアー旅行を提供している会社はいくつもありますが、JALが提供するJALパック、ANAに特化したスカイツアーズが特に安いです。
JALパック
宮古島ツアー旅行の王道はJAL系の飛行機とホテルがセットになったJALパックのツアー。JALパックは宮古島に観光客が少なかった時代から継続してツアー旅行を組んでいて選べるホテルがとても多いです。
JALの羽田―宮古直行便は早朝発、深夜着なので宮古島での時間を有効に使えます。JALは那覇―宮古の便数が多く、乗り継ぎ便の選択肢が多いのも嬉しいポイントです。
スカイツアーズ
ANAの飛行機を利用した旅行会社。宮古空港ではANAが勢力を拡大しています。2015年以降、羽田空港、関西国際空港、中部国際空港からの直行便が次々就航しています。
ANAの路線拡大に伴い、スカイツアーズが取り扱う宮古島へのツアーはかなり充実しています。直行便利用のツアーが安いと評判で大都市圏からの旅行者に人気です。
宮古島移住って実際どうなの?出会い編
南国の離島、宮古島で出会った異性と恋に落ちる。
ドラマに出て来そうなロマンチックなシチュエーションですが・・・。
実際はどうなのでしょうか?
若者がいない
「宮古島にはロクな男がいない」
移住者女子のがっかりポイントは、宮古島にロクな男性がいないこと。
こんなことを書くと宮古島の男性全員を敵に回しそうなのでフォローしておくと、宮古島にすてきな男性はたくさんいます。
ただし、若くてすてきな男性は本当に少ない。
理由は単純に島に若者がいないから。
宮古島には大学・専門学校がないので、地元出身者は高校を卒業すると大半が島を出ます。
特に男子高校生はほぼ100%高校卒業後島を出ます。
島を出た若者はなかなか宮古島に帰ってきません。理由は、宮古島の働く環境。
宮古島はとにかく給料が少ない島。同じ仕事をするにしても、東京と宮古島では天と地ほど給料の差があります。
宮古島の仕事は観光業、建設業、介護職・看護など医療関係が中心。職場のジャンルが限られているのも島を出た若者が帰ってこない理由です。
宮古島では長男が親の面倒を見るとい風習が残っているので、長男はいずれ島に戻ってきます。島に戻るのは早くて30代。40代で帰ってくる人もいます。
単身で帰ってくるパターンもありますが、本土で結婚して家族で帰ってくるケースが多いです。
宮古島の人口構造はいびつ。10代、30代に比べ、20代がかなり少ないです。
恋愛対象になるような地元出身の若者は一握り。
では移住者の男性はというと、正直ロクな男がいません。
夫婦での移住や家族での移住に比べ、単身移住者は少ないです。単身移住者の大半は女性。男性で単身で移住してくる人は限られています。
20代の若い女性がリゾートバイトで宮古島で寮生活をしたり、ダブルワークをしたり、職を転々としたりするケースはよくありますが、男性がこれをやると少し痛いです。
フラフラしているイメージなので、どうしても恋愛対象にはなりません。
中には定職について働いている移住者の独身男性もいますが、一握りです。ダイビングなど趣味に没頭している人、宮古島移住後も仕事ばかりしている人など、恋愛には興味ない人が多いイメージです。
結果、出会いを求める女性にとっては「宮古島にはロクな男性がいない」となってしまいます。
宮古島の恋愛
宮古島は離島という特殊な環境からか、地元出身者の絆がとても強いです。
高校卒業後島を出て都会の大学や専門学校に進学してからも、宮古島出身者ばかりと仲良くしていたり、宮古島出身者どうして付き合うケースが多いです。
宮古島出身者同士で都会のシェアハウスに住んでいる人もいます。
宮古島で生まれ育つと、自然と地元出身者と移住者を区別するようになります。
島外の人と結婚する人もいますが、大半は地元出身者同士で結婚します。
宮古島にリゾートバイトで移住し、夜のお店で働きながら地元出身者の男性と出会って結婚し、そのまま宮古島に嫁ぐケースも稀にあります。
宮古島は親戚のつながりが強く、旧正月や旧盆など親族が家に集まる行事が多いです。
特に長男の家に島外から嫁ぐと大変。宮古島の風習に翻弄され苦労することになります。
親戚の集まりでは男性はお酒を飲むだけ。料理を作るのもお酒を準備するのも、酔っぱらった男を送迎するのも女性の役割です。
宮古島の男性は寡黙ですが、お酒を飲むと子供のようにはしゃぐ人もいます。とにかくよくお酒を飲みます。
お酒を飲まないと本音を言えない男性も多く、宮古島独特の酒の回し飲み、オトーリがエンドレスに続きます。
慣れればオトーリとの付き合い方、酒をよく飲む男性との付き合い方も心得られますが、慣れるまでは大変です。
飲み会のたびに車で旦那を居酒屋に送迎している奥さんもけっこういます。
「旦那に呼ばれて夜の11時に車で居酒屋に行ったのに、オトーリが終わらなくて旦那がいつまでも出てこない」は宮古島あるあるの一つ。
宮古島に嫁ぐならそれなりの勇気が必要です。
出会いがほしいなら
南国でのアバンチュール的な出会いを求めているなら、宮古島はあまり期待しない方がいいです。
「宮古島の浜辺で、ゆっくりと水平線に沈むサンセットを眺めている時に、彼と出会いました」みたいなロマンチックな話は聞いたことがありません。
サンセットを一人で見に来る若者は宮古島にはいません。
サンセットを眺めているのは若い女性のグループか、単身女性か、カップルか、おじさんです。
基本的に宮古島の男性はシャイなのでお酒が入らない限りナンパしてきたりはしません。ビーチでナンパされるとしたら観光客か怪しい移住者です。
沖縄本島には若者が多く、夜の街には観光客や地元の若者があふれていますが、宮古島の夜に目立つのは観光客か地元のおじさんグループです。
単身移住者の宮古島移住生活は長続きしない傾向にあります。
単身での移住は身軽なので、家族での移住や夫婦での移住に比べ、うまくいかなかった時に島を出るハードルは格段に低いです。
男女の出会いは少ないですが、短期移住でも海遊びや南国グルメ、南の島での生活は充分満喫できます。
出会いには期待せず、島暮らしを楽しむことに重点を置いて暮らしているうちに、自然に人脈は広がっていきます。
人との出会いによって移住生活はより豊かなものになります。
人脈を広げる一番のきっかけになるのは職場。
移住者同士は共通の話題が多く、仲良くなりやすいです。「どこ出身?」「移住何年目?」などの会話から自然と人脈が広がっていきます。
地元出身者にとって移住者は「よそ者」ですが、職場でまじめに働いていれば、少しずつ仲間として受け入れてもらえるようになります。
ボランティア活動や三線教室などの習い事をきっかけに人脈を広げている人もいます。
縁もゆかりもない宮古島でも、人脈を広げて仲間を増やせば「住めば都」を実感できます。
宮古島移住って実際どうなの?冬の暮らし編
宮古島の冬って実際どんな感じなのでしょうか。
移住前は夏にしか宮古島に行ったことがなかったので、冬の宮古島でどんな暮らしが待っているかはリアルには想像できていませんでした。
冬の宮古島は、寒い年もあれば、暖かい年もあります。8度ぐらいまで気温が下がることもあれば、27度で夏日なんて日もあります。
冬はいつ?
全国的に冬は12月~2月。
常夏のイメージがある宮古島には冬はないと思われがちですが、宮古島にも冬はあります。
宮古島も12月~2月は冬。
夏がとても長い宮古島ですが、冬が短いわけではありません。
春 3月
夏 4月~9月
秋 10月・11月
冬 12月~2月
宮古島で5年生活した私の感覚だと、宮古島は夏が長い分、春と秋が短いです。冬はしっかりあります。
冬の天気
冬の宮古島は夏に比べると天気がよくありません。
夏は台風が来ない限り、毎日のように晴れていますが、冬は晴天率が低いです。
一週間のうち、晴れるのは3日ぐらい。くもりや雨の日が多いです。
ただし、年によります。
全体的に見れば夏よりは晴天率は低いですが、年によっては冬でもずっと晴れています。
宮古島の天気はとても気まぐれ。
大海原の中にポツンと浮かぶ島なので、天気はとても変わりやすいです。
天気予報はあてになりません。
雨の予報だったのに、飛行機で宮古島に着いてみたら晴れているなんてことも少なくありません。
寒い冬
宮古島には寒い冬の年もあれば、暖冬の年もあります。
寒い日には、最低気温が8度ぐらいまで下がります。
普通に寒いです。
東京で暮らしていた頃は、氷点下の冬も経験していたので、それに比べればもちろん気温は高いですが、普通に寒さを感じます。
移住1年目は「宮古島の冬は暖かい」と思えますが、移住2年目からは宮古島の気候に慣れ、冬が来ると寒いと感じるようになります。
島の人たちからは「移住者なのに寒いと言ってる」とよくからかわれますが、実際、寒いです。
寒さの理由は北風。
宮古島の冬は北風が強く、気温以上に体感温度は低いです。
特に海の近くは北風が強く、寒いです。
今この記事を書いている私は、セーターの上にネックウォーマーをつけています。
夜は特に冷え込みます。寒いので羽毛布団にくるまって寝ています。
宮古島に来る前に、ヒートテックの洋服は全て捨てましたが、宮古島に来てからネット通販でヒートテックを買いました。
まさか、宮古島でヒートテックの洋服が必要になるとは思ってもいませんでした。
夜に長時間外にいる時などは、宮古島でもヒートテックが欲しくなるほど寒い日があります。
寒い日は、半袖・短パン姿の人はいません。長袖シャツの上からパーカーやセーターを着ている人が多いです。
宮古島の家庭では、エアコンは必需品ですが、暖房機能がついていない場合が多いです。
暖房器具がある家は少数派。こたつやホットカーペットを使っている家もありますが、ごく一部です。
宮古島の冬は意外と寒いですが、雪が降ることはありませんし、薄着で外出して「寒い」と連呼していることもあります。
ニュースで北海道や東北の人たちが大雪の中、雪かきしている映像を見ていると、宮古島の冬の寒さなんて、全く問題ないレベルです。「寒い」と言っているのが申し訳なくなります。
暖冬
全国的に暖冬の年は、宮古島も暖冬になりがち。
暖冬の年の宮古島は最高です。
冬でも最高気温が25度を超える夏日になることがあります。
「あたたかい」を通りこして「暑い」と感じる日もあるぐらいです。
思わず部屋のエアコンのスイッチをオンにしてしまったこともあります。
天気の良い日は車の中が熱くなります。
南国、宮古島の太陽の日差しはとても強く。日なたに放置した車の中は温度が上がりがち。暖冬の年は、冬でも車の冷房を入れることがあります。
暖冬の年は、北風は吹きません。冬でもあたたかい南風が穏やかに吹きます。
晴れの日の宮古島の海は、夏も冬も変わらず美しいです。
夏の宮古島はあまりに暑く、長時間ビーチで読書なんてことはできませんが、暖かい冬なら出来てしまいます。
冬は海水温が低く、さすがに海には入れませんが、サーフィンやウインドーサーフィンなどのマリンスポーツを楽しんでいる人もいます。
変わりやすい天気
宮古島の天気は変わりやすいので、暖冬が突然、寒い冬に変わることもあります。
「昨日まで25度だったのに、翌朝は13度」なんてこともあります。
宮古島で気温13度はかなり低いです。
天気予報で翌日の気温が「13度」だと「明日13度だってよ、寒っ!」となります。
宮古島の冬は天気が変わりやすく、宮古島旅行が天気に恵まれるかは運次第。
運が良ければ、冬でも常夏の宮古島を満喫できます。昼間は半袖短パンで観光出来てしまいます。
運が悪ければ、宮古島にいる間、ずっと雨。ビーチは風が強く、宮古ブルーの海にも出会えません。
冬に宮古島旅行をするなら、旅行日数は長めがオススメ。宮古島の天気は変わりやすいので、1週間滞在すれば最低でも1日は晴れます。
宮古島の海は少しでも太陽の日差しが届けば、宮古ブルーに輝きます。
【冬に撮影した写真】
冬の暮らし
宮古島移住5年の私。宮古島の冬の暮らしはとても快適です。
移住前は夏の宮古島が大好きでしたが、今は冬の方が好きです。
5年間暮らすと、長すぎて暑すぎる夏に嫌気がさしてきます。冬が恋しくなります。
本土に比べて暖かい宮古島の冬は最高です。
暖房器具が必要ないので、電気代が安く済みます。
夏は毎日エアコン必須。我が家の1ヶ月の電気代は夏は1万円を余裕で超えますが、冬は5千円ぐらいです。
お風呂上がりに寒さを全く感じません。
小さい子供がいると、お風呂上がりの着替えは身体が冷えないように気を使わなくてはなりませんが、宮古島はお風呂の外も暖かいのでとても快適です。
寒くて身体が固まることも、手足の先が冷たくなることもありません。身体はとても楽です。
暖かい冬を目的に、高齢で移住して来る人も少なくありません。
寒い日にはホットコーヒーが飲みたくなりますが、冬でもアイスコーヒーを飲む日の方が多いです。
寒い日には羽毛布団にくるまって寝ますが、暑い日は半袖半ズボンで、布団も掛けずに寝ています。
東京で暮らしていた頃は、冬が来るたびに車のタイヤをスタッドレスに交換していましたが、宮古島ではその必要もありません。
宮古島の人はスタッドレスタイヤの存在を知りません。
冬でも子供たちは公園で元気に遊んでいます。
夏より冬の方が子供を外で遊ばせるには安心です。
夏の宮古島は日差しが強く、紫外線が強く、とても暑く、10分も外にいると子供が熱中症になるんじゃないかと心配になります。公園の遊具は鉄板のように暑くなります。
冬は熱中症の心配はありません。暖かい日には冬でも半袖・半ズボンで子供たちは公園を走りまわっています。
島民の冬
宮古島で観光業やマリンレジャー業をしている人たちは、夏が忙しいです。稼ぎ時の夏にバリバリ働いて冬はのんびり暮らしている移住者もいます。
普通の島民は、夏よりも冬の方が忙しいです。
宮古島では兼業でサトウキビを育てている人、オジーオバーのサトウキビ畑の収穫を手伝っている人が多くいます。
普通に仕事をしながら、休日や出勤前に畑作業をしている人も多いです。
サトウキビは12月~3月が収穫の時期。サトウキビ農家は収穫期の冬が1年で最も忙しい時期です。
宮古島は経済的に豊かな島ではありません。島民の給料水準はとても低いです。地元の人はもちろん、移住者の給料も少ないです。
30代会社員の私の手取り給料は16万円ぐらいです。
サトウキビだけで給料の少なさをカバーできるわけではありませんが、少しでも生活の足しにしようと、島の人たちは、サトウキビの収穫に汗を流します。
最近では機械での収穫が多くなりましたが、手刈りの畑もまだまだあります。冬はサトウキビ刈りのアルバイトをしている移住者もいます。
冬の魅力
夏に比べると、宮古島の冬は静かです。
夏は観光客で賑わっていたビーチも、冬にはほとんど人がいなくなります。
観光地としての知名度が高まり、観光客が急増している宮古島。夏は人も交通量も多いですが、冬になると落ち着きます。
冬の宮古島には、沖縄離島本来のゆったりとした島時間が流れています。
冬は外国人観光客が少ないです。宮古島には中国からクルーズ船で毎日のように大量の中国人が入ってきます。
クルーズ船は一度に大量の乗客を島に下ろすので、クルーズ船が入る時間帯はスーパーが大混雑したり、タクシーがつかまらなかったり市民生活に影響が出ています。
冬はクルーズ船の便数が減ります。
私は、冬が来ると安心するようになりました。
離島本来のゆったりとした島時間を楽しむなら、冬の宮古島がオススメ。JALパック、スカイツアーズ、HISなどのツアーサイトを賢く使えば、夏の半額以下で宮古島を旅行できます。
宮古島移住って実際どうなの?台風編
宮古島には毎年必ず台風が接近します。
宮古島に移住するなら、台風対策の知識は必須です。
台風の頻度
宮古島には毎年必ず台風が接近します。
台風接近のピークは7月~9月。夏は毎月少なくとも1つは台風が接近します。
5月、6月、10月に台風が接近する年もあります。
宮古島には台風の当たり年、外れ年があります。
当たり年には次々に台風が襲来します。
2週連続で暴風域を伴う台風が接近することもあれば、1ヶ月に3つの台風が接近することもあります。
住んでいる感覚だと、宮古島の台風の勢力は沖縄本島以上に強く、頻度も多いです。
宮古島に移住すると、台風の知識が自然と身につきます。
台風のサイズを表す「超大型」「大型」、勢力を表す「猛烈な」「非常に強い」「強い」などの表現に敏感になります。
地元の人が最も気にするのは、台風の中心気圧。中心気圧は「ヘクトパスカル(hPa)」で表します。
1000ヘクトパスカルを下回ると、熱帯低気圧は台風に変わります。
本土では970ヘクトパスカルの台風でも一大時ですが、宮古島には毎年のように中心気圧950ヘクトパスカルぐらいの台風が接近します。
宮古島の人たちの感覚では990ヘクトパスカルは「そよ風」、970ヘクトパスカルは「手ごわい」、950ヘクトパスカルは「本格的に警戒」。
940ヘクトパスカルを下回る台風には、島の人たちも目の色を変えて警戒します。
宮古島に襲来した過去最強の台風は910ヘクトパスカル。
私が移住してから最も強かったのは940ヘクトパスカル。恐ろしい暴風で部屋のドアを開けることすらできませんでした。
ゴゴゴゴゴと窓に雨と風が打ち付ける音が部屋中に鳴り響き続けます。風でドアがガタガタ音を立てて揺れます。この状態が何時間も続きます。
宮古島に移住すると、台風の恐ろしさを体感します。自然に比べれば人間なんてちっぽけな存在だと思い知らされます。
宮古島では、台風に抗うのは危険です。台風には無条件で完全降伏。家でおとなしくしているしかありません。
台風対策
宮古島では台風による豪雨や土砂崩れで人的被害が出ることはほとんどありません。宮古島には川がないので河川の氾濫は心配ありません。
恐いのは「風」です。
庭やベランダのものは、全て部屋の中に入れます。
風で飛んだ鉢植えが直撃すると、車のフロントガラスや部屋の窓ガラスが割れます。
宮古島の家の窓には雨戸がついています。
台風時には雨戸を閉めるので、風で物が飛んできても窓ガラスが割れることはありません。
昔は木の雨戸が主流でしたが、最近はアルミサッシの雨戸が人気です。
台風接近時には何時間も雨戸を閉め続けます。
ドアや窓ガラスの隙間から雨水が入って来るのを防ぐため、隙間をガムテープで埋めたりします。
島の人たちは台風対策に慣れています。よほどの台風でない限り、大きな被害はでません。
宮古島の建物の大半は台風に強い鉄筋コンクリート造です。アパートも一軒家も鉄筋コンクリート造が主流です。
昔は木造瓦屋根の住宅が多かったようですが、50年以上前に台風で壊滅的な被害を受け、鉄筋コンクリートに建て替えられました。
宮古島では2018年頃から再び木造家屋、木造アパートが増え始めています。木造のリゾートホテルも見かけるようになりました。
新しい木造住宅は「台風に強い」を売りにしていますが、どの程度の台風まで耐えられるかは未知数です。
停電
宮古島の台風には停電がつきもの。
移住前は家が停電する経験などありませんでした。短時間停電しても、数分で復旧していました。
宮古島では暴風域を伴う台風が接近するたびに家が停電します。
台風の外れ年でも毎年必ず1回は停電します。5回以上停電する年もあります。
宮古島の停電は、とにかく長い。復旧までに時間がかかります。
地元の人は慣れていますが、移住者は停電に慣れるまでが一苦労です。
暴風警報が出ている間は、外に出られません。宮古島の台風は恐ろしく風が強く、外に出れば簡単に吹き飛ばされます。
暴風が去るまでは停電の復旧作業ができず、復旧に時間がかかります。
強い台風だと島のほぼ全域が停電します。
停電が5時間で復旧すれば良い方です。丸1日以上停電することも普通にあります。
田舎ほど停電しやすく、復旧に時間がかかります。
移住者の中には、島の市街地近くではなく田舎に住みたがる人もいますが、停電時は悲惨です。
停電すると、当然部屋の電気がつきません。昼は外が明るいですが、夜には真っ暗。
外灯も、信号も全て消えています。夜は島全体が真っ暗です。
台風シーズンは宮古島が最も暑い時期。停電するとエアコンが使えません。雨戸まで閉めて密閉された部屋には熱がこもります。
窓に打ち付ける雨風のゴゴゴゴゴという轟音を聞きながら、暑い部屋でひたすら耐えるしかありません。
冷蔵庫も心配です。冷凍庫の氷は溶けます。冷蔵庫は停電するとただの箱になり、食材が腐っていきます。
宮古島の人は台風前には生物を買いません。カップラーメン類が品切れになります。
オール電化だとガスも使って調理ができないので、食べ物にもこまります。炊飯器の電源ももちろんオフです。
最近宮古島で売れているのがインバーター発電機。
1000w程度の小型の発電機でも、液晶テレビ、電気ポット、炊飯器、LED照明、スマホ充電は余裕。4万円台~購入できます。
冷蔵庫・エアコンまで発電機で賄うには3000wクラスの大型発電機が必要です。
ガス・水道
停電に比べれば台風でガス・水道が止まる頻度は低いです。
稀に断水すると大変です。
我が家では、強い台風前には必ずバスタブに水をためるようにしています。
地域全体が断水することもあれば、アパート単位で断水が発生することもあります。
蛇口をひねっても水が出ない衝撃は、停電以上。宮古島移住生活では断水への備えも大切です。
車のサビ
宮古島は車のトラブルが多いです。
私は移住時に本土から軽自動車を輸送しました。本土では順調に走っていた車が、宮古島ではたびたびトラブルを起こしました。
宮古島は潮風が強く、車は「塩害」の被害を受けやすいです。
車のエンジン回りの機器が塩害でダメになったり、車の底面がサビて排気ガスをうまく出せなかったり。
本土では考えられないようなトラブルが起きます。
台風時には海の潮が巻き上げられ、海から離れた場所にまで飛んできます。
潮を洗い落とさなければ、車のボディはすぐにサビます。特にタイヤ回りのサビがひどいです。
台風一過の日、宮古島の洗車場には長い列ができます。
我が家も台風の度に洗車していますが、1ヶ月に何回も台風が来るようなあたり年には洗車を諦めがち。
本土から持ってきた車はサビの進行がひどく、宮古島で中古車に買い替えました。
車の防サビ加工はある程度は効果がありますが、加工から時間が経つとタイヤ回りからサビてきます。
台風と仕事
暴風警報が出ている間は、宮古島の社会機能全てがストップします。
会社員も公務員も仕事は休み。
台風の強さによっては「午後から出社」などもありますが、丸1日休みになることが多いです。
スーパー、コンビニ、ドラッグストア、カフェ、居酒屋、食堂も全て休み。
宮古島で会社員として働く移住者の私。最初のうちは「台風で仕事休み。ラッキー」と考えていましたが、台風のあまりの恐怖に「台風より仕事の方がマシ」と考えるようになりました。
島の子供たちも「台風で学校休み。ヤッホー」とはならないようです。家に長時間引きこもる台風よりは「学校の方がいい」と考えている子の方が多いです。
台風の翌日の仕事は、会社周りの掃除から。外には台風で飛ばされた枝葉が散乱しています。
台風の前の日は、風の程度によりますが、飲みに行く人も多いです。「最後の晩餐」とばかりに飲み歩きますが、風が強くなる前には必ず帰ります。
島の人たちは台風を正しく恐れているので、台風で人的被害が出ることはほとんどありません。
たまに「観光客が転倒して骨折」などの記事がありますが、地元の人は台風時にはひきこもるので、被害は出ません。
台風と海
台風接近時は海は大しけ。
台風による「風」の影響が出る前に「波」が荒れます。
台風接近の数日前から波が高くなります。
漁港では漁船やレジャー船が陸揚げされます。
台風通過後数日は波が高い状態が続きます。
台風通過直後は水難事故のリスクが最も高い時期。
台風でホテルに缶詰めだった観光客は、晴れて風が収まると海に入りたがりますが、台風通過後数日は波の高い状態が続き危険です。
宮古島では台風通過から数日の水難事故がとても多いです。
波浪注意報が出ている間は、海水浴・シュノーケリングは控えた方が無難。
地元の人は台風後しばらくは海に入りません。
宮古島の海が一番きれいに見えるのは、実は台風通過直後の晴れた日。
台風が空気中の小さなゴミを吹き飛ばすためか、とにかく海がきれい。海面の青色がくっきりと浮かび上がります。
台風に耐えたご褒美と言わんばかりに美しい海が迎えてくれます。
台風通過後数日は波が高く、貨物船が島に入れません。
数日はスーパーの品薄が続きます。特に乳製品・肉類が品切れします。
台風と空
台風通過前日、翌日は空がきれいです。朝日、夕日のグラデーションがとても美しいです。
宮古島の写真愛好家は、台風前後を狙ってビーチでカメラを構え、ダイナミックな夕焼けの写真を撮っています。
台風でかき乱された空と海を眺めていると、自然の雄大さを感じます。
観光で宮古島に来ていた頃は、台風のマイナス面しか見えませんでしたが、移住生活が長くなると、台風があってこその宮古島だと実感できます。
宮古島の暑さのピークは6月。7月以降は、台風が通過するたびに、少しずつ気温が下がっていきます。
宮古島の夏は暑くて長いですが、台風は確実に季節を進めてくれています。
忍耐力
宮古島で生活するなら、台風に耐える忍耐力が必要です。
島の人たちは忍耐力に長けています。
どんなに強い台風にも黙って耐える強さがあります。
「耐える力」は島の人たちの「芯の太さ」「優しさ」につながります。
移住者は、宮古島の台風に試されているのかもしれません。
宮古島で長く生きていくなら「忍耐力」は必須。
島の人たちのように、どんな困難にも歯を食いしばって耐える力が必要です。
移住生活は順風満帆にはいきません。
宮古島が大好きで移住した移住者でも「大好き」のまま何十年も暮らすことはできません。
「好き」と「嫌い」を受け入れた上で、嫌いなことも含めて島を愛する力がなければ、移住生活は長続きしません。
まとめ
宮古島移住のリアルを実際に5年間住んだ感想を交えて解説しました。
移住生活では移住前には想像もできなかったような困難や壁にぶつかることがあります。
困難に屈して帰っていく移住者もいれば、歯を食いしばって耐えて島に住み続けることで幸せをつかむ移住者もいます。
移住生活は決して楽ではありませんが、あなたの人生を大きく好転させる可能性を秘めていることも忘れてはいけません。