沖縄の離島、宮古島に移住して5年のshimaguraashiです。
田舎暮らしが人気になる中、移住先での生活がうまくいかず、失敗する人が後を絶ちません。
宮古島で移住生活をする中で、数々の移住成功例、失敗例を目にしてきました。
田舎暮らしに失敗する人と成功する人には、決定的な違いがあります。
私自身、移住が成功したとは思っていません。移住生活は苦しいことの方が多く、どちらかと言うと失敗組です。
成功組に入りたいと思うものの、成功者と失敗者の決定的な違いを私自身も克服できていないのが現状です。
田舎暮らしに失敗する人と成功する人の決定的な違いは何なのか。移住5年の経験をもとに魂を込めて書いてみました。
島の人のように暮らす
田舎暮らしに失敗する人と成功する人の決定的な違いは何なのか。結論から言うと「田舎に住む地元民のように暮らすことができるかどうか」です。
文字におこすと簡単に見えますが、これが一筋縄にはいきません。
多くの地方移住者は、田舎に暮らす人のことを理解しようとしません。
理解しようとする人もいますが、地元民が大切にしている考え方や性格を深く理解するのは簡単ではありません。
そして、それを理解した上で、自分自身もその土地の人のように生きることはもっと難しいです。
端的に言えば「郷に入れば郷に従え」です。
郷に従うことができれば、田舎暮らしは失敗しません。
ただし、郷がどういう場所なのかを正しく理解するのは簡単ではありません。
5年前に宮古島に移住した私。移住前の宮古島のイメージは「常夏」「南国」「楽園」「のんびり」「人が温かい」でした。
郷を勘違いしている典型的なパターンです。
外から見た田舎のイメージと、実際に住んでいる人の暮らしは全く異なります。
宮古島の場合、常夏ではなく冬は寒いです。楽園なんて言葉とは程遠く、人々は地に足をつけてつつましく日々の暮らしを営んでいます。
のんびりしているのは海辺でたそがれている観光客ぐらいです。働き盛り世代はみんな一生懸命働いています。休みは少なく、給料も少ないです。
宮古島の人は観光客には温かいですが、移住者には温かくありません。冷たくも温かくありません。関心がありません。「ご自由にどうぞ」というスタンスです。
田舎暮らしを求めて移住する人は、移住先の土地柄や人柄を勘違いしていることが多いです。
移住前にその土地のことを完全に理解することはできません。ほとんどの移住者はマイナスからのスタートです。
田舎暮らしに失敗したくなければ、自分の勘違いを一つ一つ正していくことです。
普通に暮らしていても、勘違いを正すことはできません。移住先の田舎をリスペクトし、その土地のことを理解しようと努力しなければ、いつまでたっても勘違いしたままです。
宮古島の場合、多くの移住者は常夏ではない島にがっかりし、のんびりできない生活に不満を感じ、温かくない人たちを批判します。田舎暮らしが失敗する典型的なパターンです。
田舎での生活が自分のイメージ通りでなかった時に、どう軌道修正できるかが田舎暮らし失敗と成功の分かれ道です。
宮古島の人たちは、暑すぎる夏も、強風で意外と寒い冬も、当然のように受け入れて生きています。のんびりできない毎日にも、歯を食いしばって家族を養うために懸命に生きています。信頼を得て深く付き合えるようになれば、島の人たちの心の温かさに触れることができます。
プライドを捨てる
田舎暮らしに失敗する人と成功する人の決定的な違いは「その土地の人のように暮らせるか」です。
そのためにはプライドを捨てなくてはなりません。
都会で培ってきた、あなたのプライドを全て捨てるのです。
日本は良くも悪くも競争社会です。都会であればあるほどそれは色濃く出ます。大学受験、就職戦争、出世競争。この争いを経験してきた普通のサラリーマンの価値観は、知らないうちに「競争社会のプライド」でガチガチに固められています。
私は競争社会のプライドを捨てられないまま宮古島に移住しました。
田舎に移住することで、都会で消耗して働く人よりも上の立場になれると勘違いしていました。
田舎に移住すれば人生の勝ち組に慣れると考えていました。
自分の人生に大きく舵を切り、田舎暮らしという決断をすることがかっこいいと思っていました。
この勘違いは、全て競争社会で身に着いたプライドから来るものです。
誰かよりも有利な立場になりたい。人生の勝ち組になりたい。この考え方自体が、競争社会のプライドそのものです。
田舎での生活は、競争社会のプライドを捨てなければうまくいきません。
競争社会のプライドを持ったままではストレスがたまるばかりです。
「宮古島の人よりも自分は仕事ができる」「宮古島の人のために何かしてあげたい」「宮古島をもっといい島にしたい」
これらは全て傲慢な考え方です。この考え方の主語は「私」です。「私は」宮古島の人より仕事ができる。「私が」宮古島の人のために何かしてあげたい。「私が」宮古島をもっといい島にしたい。
このタイプの移住者は田舎暮らしに失敗します。
地方移住者にできることなど、何もありません。移住成功したければ、移住前に積み重ねてきたものを全てリセットする覚悟を持つことです。
地方に移住すれば、移住前の経歴は全て意味がなくなります。学歴、社歴、営業成績。移住前にどんなに優秀でも、移住先では何の意味も持ちません。
「私が何かしてあげたい」という傲慢な考えを持つこと自体、大きな勘違いです。
移住先の田舎での移住者の立場は生まれたてのあかちゃんと同じ。無駄なプライドが身に着いている分、あかちゃん以下からのスタートと理解した方がいいです。
田舎の人のように生きるためには、価値観やプライド、経歴を全てリセットすることです。移住前に積み重ねているものにこだわっている移住者ほど、田舎の人に嫌われます。
ただし、これは簡単なことではありません。自分が何十年も生きてきた中で身につけた価値観を捨て、競争社会の中で戦い勝ち取ってきたものを捨てる。わかっていてもできることではありません。
宮古島移住5年の私は、ここでかなり苦労しました。
今もし私が都会に帰りたくなって、転職活動をしても、うまくいかないでしょう。仕事を辞めて南の島に移住した人間を相手にしてくれる企業などないはずです。
移住することは、全てを捨てることです。これまで生きてきた全てをリセットして、移住先の田舎にどっぷりつかって染まる覚悟がなければ、移住は失敗します。
自己流ではだめなのか
こんなことを書いていると、なぜ田舎にそこまであわせないといけないのか。自己流ではだめなのかと反論したくなることでしょう。
自己流を貫き通して移住生活を送っている人もいます。
島の人と関わらず、自己流のスタンスで、自分の生き方を貫いて生活している移住者もいます。
そのやり方で、十年も二十年も移住先に留まっている人もいます。
しかし、このタイプの移住者は・・・幸せそうではありません。
これが全てです。移住先に長くとどまっているからと言って、その人が幸せに生きていなければ、移住成功と言えるでしょうか。
移住してからも自己流を貫いて、田舎の人たちと関わらずに生きている移住者の暮らしは楽しそうには見えません。
自己流を貫く移住者は、ホームレスの人、ゴミ屋敷に住んでいる人のように見えます。
自己流を貫くことで、移住後しばらくは田舎で幸せに生きられるかもしれません。しかし、次第に孤独になり、寂しさを感じ、哀愁が漂うようになります。
いまさら島から出て暮らすことはできない。でも、島に留まることが幸せなわけでもない。という状況に陥ります。
幸せの近道
田舎暮らしで幸せになりたければ、田舎の人のように暮らすことです。田舎の人たちの暮らしは、都会よりも豊かです。
経済的な豊かさでは劣りますが、心は豊かです。
高望みせず、欲がなく、苦しいこともつらいことも受け入れる広い心を持ち、時には自分を犠牲にする。人を出し抜いたり、出る杭を打つことなく、互いの良いところも悪いところもを認め合う。仲間の喜びを自分のことのように喜び、仲間の悲しみを自分のことのように悲しむ。子供が生まれれば、みんなで盛大にお祝いする。
宮古島の人たちの生き方は、都会の人たちの価値観とはかけ離れています。
田舎で幸せ生きて行く上では、田舎の価値観にどっぷりとつかるのが一番の近道です。
宮古島に移住して幸せに暮らしている移住者の先輩たちは、みんな島の人たちのように生きています。現地の人だと勘違いされるようになったら、移住者として一人前です。
移住5年の私は、まだまだ修行中。宮古島の人たちのように生きるには、もっと多くのものを捨てなければなりません。
頭ではわかっていても、なかなか簡単にできることではありません。
田舎暮らしは、人生の幸せをつかむための一つの方法です。ただし、幸せをつかむためには、多くのものを捨てなくてはなりません。
人生で積み重ねてきた価値観を捨て、その土地にどっぷりつかって、その土地の人のように生きることができるか。
そこに、田舎暮らしに失敗する人と成功する人の決定的な違いがあります。