住みにくい東京から沖縄の離島、宮古島に移住して5年。
島にどっぷりつかっている私ですが、帰省するたびに東京でのストレスがフラッシュバックします。
私の感覚では、東京の方が離島よりよっぽど住みにくいです。
離島に移住して感じた東京が住みにくい理由をまとめました。
信号が多い
通勤・通学・買い物。生活する上で移動は欠かせません。移動がスムーズかどうかは住みやすさに直結します。
東京はとにかく信号が多い。
車での移動はかなりストレスがたまります。歩いた方が速いんじゃないかというほど、信号と信号の距離が近い。
高級外車に乗っていようが、信号待ちが多い東京での生活はストレスがたまります。
高級外車で東京の道を走るより、ボロボロの軽自動車で宮古島の道を走る方がよっぽど快適です。
徒歩移動や自転車移動でも信号の多さは大きなストレス。信号が多い東京はとにかく住みにくいです。
信号待ちが長い
宮古島から東京に帰るたびに思うのは、信号待ちの長さ。
信号が多いだけでもストレスなのに、東京はとにかく信号待ちが長い。
宮古島の信号は1分以内には切り替わります。東京では最悪3分の赤信号が続きます。
信号が青になると東京の人たちは我先にと早足に歩きます。
信号を待つのもストレス、信号をハイスピードで歩く周りの人もストレス、それに合わせて早足で歩く自分もストレス。
宮古島に移住したことで、信号機だけでこんなにもストレス源があったことに気がつきました。
信号待ちの時間は人生の無駄。暑い夏、寒い冬の日はなおさらストレス。信号待ちが長い東京は本当に住みにくいです。
車のプレッシャー
東京は車が多い。車間距離が短い。ドライバーが歩行者に優しくない。
駐車スペースも狭く、東京の人たちは当たり前のように狭いスペースに1台でも多く車をねじ込もうとぎゅうぎゅう詰めで駐車します。
車のプレッシャーを日々感じながら暮らさないといけない東京はとても住みにくい。
子連れだとなおさら住みにくいです。
子供を連れて信号していても、お構いなしに車が子供の目の前をギリギリの距離で通過していきます。
ドライバーに子供が飛び出したら危ないという意識はありません。子供が飛び出さないように見張るのが親の義務だと言わんばかりです。ドライバーは自分のことしか考えていません。
車のプレッシャーが強い東京は住みにくいです。
人が多い
東京は人が多い。人ゴミがあちこちにある。行列も多い。
渋谷のスクランブル交差点、新宿駅前、東京駅。
宮古島で暮らしていると、人ゴミに耐えられなくなります。
人ゴミの中にいるだけでも無意識にストレスはたまります。
何をするわけでもなく、渋谷の街をぶらぶら30分歩いただけでも人間は疲れます。疲れるのは脳です。
たくさんの人の話し声がざわざわと聞こえる空間にいるだけで、脳は疲れます。
人が多い東京は、住んでいるだけでストレスがたまる、住みにくい場所です。
宮古島に移住してから行列に並べない体質になりました。
行列に並ぶのは欲があるから。買いたい、食べたい、アイドルと握手したい。欲があるから人は行列に並びます。
欲深くなるのは心が満たされていないから。東京の人たちは欲を満たすことで、心が満たされたと勘違いして生きています。
行列がたくさんある街ほど住みにくいです。
行列が多い→欲深い人が多い→ストレスまみれ→住みにくい。
宮古島には行列はありません。観光客は沖縄そばの名店に並びますが地元の人は並びません。
行列がなく、人々の欲が少ない街はとても住みやすいです。
満員電車
宮古島に移住した私から言わせば、満員電車は全く理解できません。
離島暮らしが長くなるにつれ、満員電車には乗れない体質になりました。
東京で暮らしていた頃の私は満員電車に乗るのがあたりまえだと感じていました。
東京に住んでいる人たちはあたりまえのように満員電車に乗ります。
気持ちと体力に余裕があれば、1時間早く出勤して満員電車を避けることもできるはずです。
それでもサラリーマンの大半は早く出勤することよりも、満員電車に乗る方を選びます。
苦しさに耐えることが美徳だという日本古来の根性精神が悪い意味で染みついてしまっています。
心と体が疲れきると悪循環の生活ルーティーンから抜け出せなくなります。
「満員電車に乗りたくない」と思うことよりも、今日一日を生きることで精いっぱい。
「こんな人生はいやだ」と思っても、そこから抜け出すエネルギーが出てこなくなります。
満員電車の鬱々とした空気は、東京のサラリーマンから英気を吸いとっていきます。
人身事故
人身事故の発生で電車が遅れる。遅刻する。焦る。少しでも早く着くよう努力する。遅刻して頭を下げる。
人身事故はとても迷惑です。
東京で働いていると「死にたいなら1人で死んでくれ」という考えになりがちです。
宮古島の人たちは「人命」と「仕事」を天秤にかければ間違いなく「人命」を優先します。
人身事故による電車の遅延に巻き込まれた人たちは、亡くなった人の命について考えることはありません。
宮古島出身者が東京で電車に乗り、人生で初めて人身事故に巻き込まれた時に考えるのは、亡くなった人のことです。
電車にひかれてまで死にたいと思ってしまった人はどんな精神状態だったのか。何を思い詰めていたのか。家族はいたのか。
東京で生活していると、人身事故で死んだ人のことなど考える余裕もありません。東京で生きるなら考える必要はないかもしれません。
これを繰り返すうちに、身近な人の命以外はどうでもよくなっていきます。
宮古島は人口5万5千人の小さな島です。島に住む全員が親戚の親戚のような関係です。みんなで子供の誕生を喜び、亡くなった人を悼みます。
企業戦士が東京でバリバリ働く上では「他人の命」などどうでもよいのかもしれませんが、私は「命」を重んじる島の人が好きです。
命の尊さを忘れてまで何かを求めて生きる東京と、命に感謝しながら人間らしく生きる離島。私にとっては離島の方が何倍も住みやすいです。
公園に癒しがない
東京の公園には癒しがありません。子供が生まれてから愕然としました。
東京の公園は小さすぎます。子供を遊ばせられる環境ではありません。
都市部の公園にいるのは大人たち。仕事に疲れ、ベンチによれよれの身体で腰かけ、コンビニ袋を片手に、スマホをいじる。
宮古島にはこの光景はありません。公園には子供たちがいて、遊具で生き生きと遊んでいます。
東京ではもはや、お金を払わないと子供をのびのび遊ばせることはできません。
テーマパークや遊園地、子供の遊び場ボーネルンドなど、親が周りの目を気にせずに子供をのびのび遊ばせられるのは有料施設。公園にはよれよれのサラリーマンやホームレスがいます。
公園に癒しがないことは、子育て世代にとって、東京が住みにくい大きな理由です。
東京ではバリアフリー化が進んでいますが、住む人の意識が変わらない限り、お年寄りも子育て世代も安心して暮らすことはできません。
宮古島では子供が泣き叫ぶと「大丈夫かね?」「どうしたかね?」と周り他人が気にかけてくれます。東京のように無視されることも冷たい目線で見られることもありません。
人づきあいがない
東京での生活は孤独です。
アパートの隣の住人が誰で、どこでどんな仕事をしているのかわかりません。
宮古島は小さい島なので、アパートの住人と家以外でよく出会います。
住んでいる人がどんな家族構成でどこで働いているのか。子供はどこの学校に通っているのか。全てわかります。
同じアパートの住人の素性がわかることは安心感につながります。
東京には「知り合い以外は全員敵」と言うような空気感があり、とても住みにくいです。
「変な人にからまれたくない」「危害を加えられたくない」「トラブルに巻き込まれたくない」と考え、人との交流を避けようとします。
ネット上では知らない人の書き込みを読み、知らない人とつながったりするのに、オフラインのリアルな世界では人脈を広げにくい。それが東京という街です。
宮古島では老衰で亡くなった人はすぐに発見されます。1人暮らしの老人でも周りの住人が気にかけているので、何日も遺体が放置されるようなことはありません。
死後数カ月してから見つかる独居老人の遺体。住みにくい東京を象徴しています。
目障りな看板
過度に目立つ店の看板や店内のBGM.も、住みにくい東京の象徴です。
東京の店は見た目も、音も、とてもうるさいです。
特にドラッグストアのうるささは異常。
宮古島から上京して東京のドラッグストアに入ると、店内の騒音が耳ざわり過ぎて耐えられなくなります。
目障りな看板や耳障りな音は「商品を売りたい」という欲の表れです。
店内に乱立する商品。どのコーナーにも商品紹介の映像が流れ、音が溢れています。
離島で暮らしている私には「この商品を買え!」と押し売りしているように感じられます。。
東京で暮らしていると、うるさい店で買い物をするたびに、ストレスがかかっていることに気づきもしません。
宮古島のドラッグストアはとても静かです。店内にはのんびりしたBGMが流れ、たまに店内放送があるぐらいです。
店舗の通路幅が広く、子供用のカートが充実していて、子連れでも買い物しやすいです。
車社会の宮古島では食料品や生活用品を子供と一緒に買い出しに来る親がとても多いです。スーパーに子供がいっぱいいます。
少し走ったり、ぐずったりしても、注意する大人はいません。逆に心配してくれます。
東京のドラッグストアに子供用のカートはありません。ベビーカーが入ることすらできません。
東京の買い物環境は劣悪。店で買い物をするだけで無意識にストレスがたまる街、東京。住みにくいに決まっています。
墓場に見える
宮古島移住を決める1年ほど前。東京スカイツリーに上りました。
地上600メートルから見る東京の街は、墓場に見えました。こんなに住みにくい街に自分は暮らしているのかと実感させられました。
ビル、住宅、道路、工場、駅、線路、公園。全てが密集して、東京という墓場にぎゅうぎゅう詰めに押し込められています。
東京には空間の余裕が全くありません。
東京の空気を吸うだけで吐き気がしそうです。
スカイツリーに上った時の高揚感。地に足のつかないフワフワした感じ。
この感覚こそが、東京に生きる人たちの生き方を表しています。
東京という街は、地に足がついていません。東京での生活が長くなればなるほど、地面から足が離れていきます。
これでもかというほど絞られ、水分が一滴もなくなってしまったぞうきんのようなカラカラの精神状態で毎日を生きなくてはなりません。
東京は、人間の欲の果て。人間という種の墓場です。
地位、名誉、権力、お金。極限まで欲を追求した現代人の墓場が東京です。
生きる上で欲は必要です。成り上がりたいという気持ちは時に大きなエネルギーになります。でも、それだけでは人は生きていけません。
離島の住みにくさ
東京から沖縄の離島に移住して5年。
島の生活にどっぷりつかることで、東京の住みにくさを実感しました。
では、離島は住みやすいのか?というと、実は離島も住みにくいです。
移動が楽だったり、島の人たち子供に優しかったり、東京に比べて魅力的な部分もありますが、離島独特の人間関係、少ない給料、お酒の飲み方など、離島にもストレス源はあります。
宮古島に移住して最初の1年は、東京から脱出したことの満足感だけで毎日がキラキラしていましたが、移住2年目からは離島生活の壁にぶつかりました。
離島の一番のストレス源は仕事。選べる仕事が少なく、職場の人数が少ないので人間関係が難しく、給料が極端に少ないです。
従業員の管理がきちんとできていない会社が多く「休みが取れない」「残業代が出ない」はあたりまえ。翌日がいきなり仕事になることもよくあります。
できる人に仕事が集中する傾向があります。移住者は特に仕事を押し付けられがちです。
住みにくい東京を脱出し、毎年多くの移住者が宮古島に来ますが、半分以上は3年以内に帰っていきます。
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まとめ
東京が住みにくい理由を、離島移住者の視点でまとめました。
信号が多い、信号待ちが長い、満員電車、人身事故、過度に目立つ看板、希薄な人づきあい。
東京は住んでいるだけでストレスがたまる住みにくい街です。
東京に住んでいると、ストレスをためてお金を稼ぎ、お金を使ってストレスを解消するという、負のルーティーンから抜け出せなくなります。
人生を強く生きるためには、住みにくい東京で生活し続ける忍耐力も必要ですが、東京を脱出する思い切りも時には必要です。