移住生活は良いことばかりじゃなけど悪いことばかりでもない。
移住10年の私のリアルを赤裸々に書くシリーズの第5弾です。
私が移住を後悔している理由
移住して10年も経つと、島で暮らしていることが当たり前になります。
住所が沖縄県宮古島市なのも、職場が宮古島にあるも、子供が宮古島の保育園に通っているのも、全て当たり前。
島の独特のなまりとか「なんでかよ」「おいよ」「なにかよ」「あいじゃ」「つんだらー」みたいな宮古の若い人も使う言葉は少しはわかるようになりました。
でもわからないこともたくさんあります。島の方言は今でもさっぱりわかりません。
島の人たちは移住者に気づかれないように、時にはわざと聞こえるように方言で会話することがあって、移住者はすごく疎外感を感じることがあります。
何を言っているのかはさっぱりわかりませんが、移住者の私をバカにしてるんだろうなーとか、笑いものにしてるんだろうなーと想像できてしまって嫌な思いをすることは何度かありました。
もう慣れてしまったので移住10年にもなると何も感じなくなるし、移住生活が長くなると少しは島の人に信頼されるようになり、島人の友達もできるので、移住者だからと言って過度に仲間外れにされてる実感はありませんが、最初は苦しみました。
今は少し考え方が変わりました。
10年住んでいると島人側の気持ちもわかるようになって、移住して間もないのに島のことを全てわかったように勘違いしてる人とか、パリピ的に騒いでる移住者とか、移住ハイでやたらとテンションが高い人は私も苦手になりました。
そういう人たちとは島人は積極的に関わろうとせず、距離をとっています。私も移住10年で移住者としては中堅ぐらいの年数になってきたので、距離をとってしまうようになりました。
たまに移住者マウントを取りたがる先輩移住者がいて、移住して間もない人をつぶしにかかるというか「え?そんなことも知らないの?」「宮古では常識だよ」みたいに偉そうにしてる人がいて、ウザがられていたりします。
移住者の先輩マウントはSNSでもリアルでもあって、居酒屋で「宮古島に移住したからには・・・」みたいに酔っぱらって永遠としゃべってるウザい人もいます。
そういう人にだけはなりたくないと思っているし、このブログでは移住者マウントとかではなく、単に移住10年のリアルを発信して、移住の決断とか移住生活の参考にしてほしいというだけなので、偉そうで不快だという読者がいたら、すぐに抹殺してください。
結論を言ってしまえば移住生活は人それぞれだし、誰かのまねをしてうまくいくものでもない。
正解は自分の心の中にあります。
移住成功か失敗かを決めるのは自分だし、成功か失敗かのどちらかを決める必要もないし。誰かに評価されるために移住するわけでもない。
移住の決断を迷っている人は、自分自身の内面と向き合って、自分自身の決断として移住するかしないかを決めることが一番大事です。
宮古島移住だよりがこう書いてたからとかは参考程度でしかなくて、今はいろんな情報がありすぎるけどその情報は参考程度にして、自分の心の内の声に耳を傾けることです。
人間は、おいしそうなパスタを見たらパスタを食べたくなるし、カレーのにおいを嗅いだらカレーを食べたくなる生き物です。でも、パスタを食べるかカレーを食べるか宮古そばを食べるかを決めるのは自分自身。
後悔しないポイントは「私はこれを食べたい」と自分自身が納得して決断することです。
私は実は、中途半端な決意で移住してしまったので、後悔まみれでウジウジしていた時期がありました。
なんとなく、パートナーも行きたそうだし、移住前の生活はうまくいってなかったし、会社と家の往復だけの人生嫌だし・・・というネガティブな理由からの逃避先として、宮古島移住を決めました。
このパターンは危ういです。
パートナーや家族の意見や考えは尊重するべきですが、その中に一人でも反対する人がいれば、押し切るのはよくない結果につながることが多いです。
私はパートナーに押し切られたわけではありませんが「パートナーの行きたいが強いからそれに乗っかっちゃえ」って感じで自分の内面と向き合うことから逃げて移住を決断しました。
自分の人生を自分で決める覚悟が、後悔しない移住のために必要です。
今ある幸せをかみしめる
移住前に抱いていた幸せのイメージは、南国、のんびり、スローライフ、縛られない、ストレスなし、常夏、楽園、天国、南の島・・・
いいイメージしかありませんでした。
宮古島は観光地としてはパーフェクトすぎる魅力的な場所なので、いつかは宮古島に住みたいと旅行者が思うのはごく自然なことで、私もその一人で、宮古病というやつになって、宮古島へのあこがれを断ち切れずに、移住したのですが、当時イメージしていた幸せは長続きはしませんでした。
移住者ハイみたいな状態で最初の頃は、宮古島に住所があって、家があって、職場があって、島の人と何気ない会話をして、島のスーパーで買い物をして、すぐに海まで遊びに行けて、南国の本土とは違う雰囲気に毎日酔いしれて、島にいるだけで幸せでしたが、それは単に過去から解放された喜びと、新しい環境に身を置いた喜びに満たされていただけ。
もちろん数カ月でもこの幸せを感じれたのは私の人生の財産だけど、その後はそれをはるかに上回る後悔とか生活の難しさに直面しました。
単純に給料は少ない、休みも少ない、人間関係がややこしくて、あれあれ島にもストレスあるよ?と気づきだして、海に行ったりオリオンビール飲んだりすればストレスは逃げていく魔法の島だと思っていたけど、それが勘違いだと気づくようになってからは「移住しなければよかった」と考えるようになる。自分の人生だから否定したくなくて、後悔してないと自分に言い聞かせようとするけど、それが逆に自分を追い込んで、ふさぎ込むようになって、躁鬱状態になって・・・。
私はプライドが邪魔をして、自分で歩んできたレールを投げ出して宮古島に移住したのに、本土に帰るなら元いたレールぐらいのポジションで戻りたいと思ってしまって、本土に戻るにも就職先が見つからず、島から離れず長居しているパターンで、もっと早く見切りをつけて、3年以内ぐらいに島から帰っていた人はたくさんいます。
元々縁もゆかりもない南の島に移住することは、本当に濃すぎる経験で、期間が長くても短くても、人生を振り返った時の大きな一ページになるので、それが汚点になるのか、武勇伝になるのかはその人の捉え方次第ですが、私は後悔しながら移住2年目以降はすごしてきました。
でもさすがに移住10年ぐらいになると、心境に変化があって、これもまた人生というか、まあ、人生どこにいて何してても常に100点なんてないわけで、移住を決意したあの時の決断が良かったとか悪かったとかそんなことはもうどうでもよくて、今ある生活を大切に、今ある家族と小さな幸せをみつけて生きていこうと、そう思うようになりつつあります。
そういう視点で宮古島を見てみると、宮古島の地元の人たちも、長く移住生活を続けている永住コースの先輩も、みんな背伸びをせず、高望みはせず、自分らしく、島の風に身を任せて生きていて、それはとても人間らしく、動物らしくすばらしいと気づく。
移住前の宮古島のイメージは天国で、空の上にふわふわ浮いてるような夢の島だったけど、移住10年の今思う宮古島のイメージは、空とは真逆の「地面」とか「土」。
みんな地に足をつけて、あるがままをうけいれて、許すべきところは許して、多少の理不尽は受け流して、無理をしすぎず生きている。
私はまだプライドのかけらが残ってしまっているので100%島の風に身をゆだねて、あるがままなすがまま生きていこうとは思えてないけど、マンゴーもらったり、島バナナもらったり、野菜もらったり、ありがたいことにそういう小さい幸せの積み重ねで、この島で生きていくのも悪くないと思えるようになってきています。
家族の距離が近く、親と子の距離が近く、オジーオバーと孫の距離が近く、地域の距離が近く、職場の人間関係も密。
会社も家も保育園も小児科も公園もスーパーもドラッグストアも全部車で5分圏内のぎゅっとした島で、物理的にも心の距離もいろいろと近い宮古島での暮らしは、染まってしまうと楽だし人としての本質みたいなのを隠さずに生きるしかなくなるので、おもしろい。
私は10年かかってやっと少しはそう思えるようになってきたけど、島暮らしがあってる移住者は移住3年目ぐらいから肩ひじ張らない島の価値観で生きてる人もいて、若いのに良い意味で島のオジーオバーみたいな見た目だったりする。
日焼け止めなんて塗らなくてもいいよ、時には化粧しなくてもいいでしょ、ぐらいのルーズというかあきらめというか、そういう力の抜け具合があれば、この島では生きていけるかもしれません。
こんな風に書くと、宮古島がルーズで島の人が適当に生きていると思われるかもしれないので、島の人たちの名誉のために書いておくと、島の人たちは、みんな基本的に今を大切に、今ある幸せをかみしめて生きているすばらしい人たちです。
子供が生まれたこと、孫が生まれたことを喜び、親戚の子供や友達の子供が生まれたことを心から喜び、人の喜びを自分の幸せのように感じる。困った人がいたら助けようとするし、私利私欲よりも誰かの幸せを願って生きているように見えます。
私が宮古島に来て一番よかったのは、人生いつまでも自分が主語だと幸せになれない、自分以外を主語に生きた方が幸せが近づいてくる、と思えるようになったかことかもしれません。
本土の人の多さと溢れる情報量と雑多な環境に身を置いていると、今の年齢ではこんなことは考えもしなかっただろうなと思います。
今ある幸せに感謝しつつ、人生の大切なことを教えてくれた島に感謝しつつ、地に足をつけて細々と宮古島で生きていくつもりです。

